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『もり3兄弟』 DMG MORI

『ひとめでわかる!図解DMG 森精機』

日刊工業新聞社編著、2014年10月30日初版第1刷発行の書籍です。

執筆者:日刊工業新聞社記者 広瀬 友彦、田井 茂、坂田 弓子さんです。2008年9月「ひとめでわかる!図解森精機」の改訂版で、この版から6年後(2013年10月)に、資本業務提携するドイツ企業の『ギルデマイスター社』との資本・業務提携を強化し、社名を『森精機製作所』から『DMG森精機』へ変更しました。DMG森精機が変貌を遂げるために、グローバル経営へ挑戦し続ていたことついて書かれています。

第1章:企業理念・歩み(成長の軌跡)
第2章:経営(変革と融合、そしてグローバルワンへ)
第3章:研究開発技術
第4章:製品
第5章:生産
第6章:販売サポート
第7章:CSR(Corporate Social Responsibility: 企業の社会的な責任 )

と細かく網羅されています。

1958年にして、今や世界で工作機械メーカーのトップ争いに名乗りを上げました。DMG森精機の注目するポイントは、①経営戦略は輸出を選んだ ②NC機市場をつくった ③M &A を行った という3つのポイントです。


経営戦略は『輸出』を選んだについて

創立当初の第1章:企業理念・歩み(成長の軌跡)より
1)経営理念 グローバル・ワンを目指す
2)創業と苦悩 奈良の零細企業から、大手に、森3兄弟の結束が礎

創業と苦闘編むについて繊維機械の零細企業にすぎなかったのですが、繊維機械で培った技術で工作機械メーカー、旋盤メーカーに転じることの3人の決断についてこう書かれています。

 森 林平(初代社長)、森 茂森 幸男(二代目社長)の3兄弟がまだ繊維産業が盛んだった奈良県で1948年に事業を興しました。
当時は工作機械のメーカーとしてはオークマ池貝の旋盤が幅を利かしておりました。新興の森精機としてとった戦略が『輸出』でした。旋盤を発売してから2年後の1960年に米国へ輸出を始めました。
剛性の高さとサービス力が現地で評価され、米国販売が大きく伸び、その評判を聞いた日本国内鉄工所も徐々に販売を伸ばし老舗メーカーの市場にくさびを打ち込みました。
そして高度成長期の波にも乗り、短期間で大手にのしあがる礎となりました。さらに新興だった販売パートナー山善が販売を売るようになり、マルカキカイユアサ商事伊藤忠商事などの総合商社も森精機の旋盤を販売し海外へと拡大しました。

ここでは競争相手は国内だけの販売をしていましたが森は、輸出戦略に目を向けられたことが競争相手との不毛な価格争いを避けるという意味でも正解であったのだなと思いました。

②『NC機市場』に投入した

また輸出戦略のという躍進のもう一つのカギは『NC機械』でした。富士通からNC装置メーカーとなったファナック社はじめほかのNC装置メーカーとも綿密な打ち合わせをして他にはない完全なNC機を1968年に市場に投入しました。その結果、作業者の技能に頼らないNC機は、顧客が今までできなかった大量生産をも可能にして製造業に変革をもたらしました。これは画期的なことで、他社の先を行くこの技術的最先端を目指されたのは将来の業界や市場が見えておられたのではないかと思いました。

③『M&A』 を行った

特筆すべき点がもう一つありM&A(Margers(合併) & Acquisition(買収))をしていったということもして大きなメーカーとなっていった事でした。大手ボール盤メーカー吉田鉄工所、しかり、池貝の子会社業界初の竪型研削盤開発メーカーの太陽工機の支援、切削系で重なるが複合加工機に強い日立精機を受け入れ検出装置のマグネスケールをソニーから買収、さらに営業的にも米国大手の販売店エリソンタイラーマシンツール、イタリアのミクロン社の買収など、次々と買収を通じて技術と顧客などその企業の全部を飲み込んで短期間で成長していく姿は企業が大きくなっていくプロセスであることが読み取れます。さらに究極のDMG MORI精機が誕生するのも時間の問題であったことが伺われます。

1999年に二代目森幸男社長が退任、三代目森雅彦専務が社長に昇格、創業3兄弟の第一世代は終わりました。創業期から3代目の森雅彦社長までの苦闘と成長までのストーリは、創業メーカーの全部が経験していく道であり、困難を経過して残ったメーカーがどんどん強くなっていくことがわかります。

 1985 年から私は、内径加工加工専用機(ホーニングマシン)という最終工程の工作機械械のメーカーで海外営業をしておりました。当時工作機械販売代理店のマルカキカイの台湾台北支店の日本人支店長と営業開拓を回らせていただいていたとき、同じ時代に同じ場でいつも森精機の引合が多くよく受注をされていた記憶があります笑笑 私が販売していたホーニングマシンは森精機さんと比べて、最終仕上げまでの工程をする顧客向けに販売されていましたこともあり、受注台数的には雲泥の差がありました。それにしても、汎用機である森精機と切削系や研削や仕上げ系の専用機を売っていた私との販売台数に差を肌身で感じていました。思い返せば、森精機さんの受注を目の当たりにするたびに『当社のホーニングマシンを受注してもらおう!』と支店長問一緒に頑張って回っていたことが思い出されます。笑 受注した台数は少ないですが、台湾で70台以上受注できたのでニッチなホーニングマシンとしてはよく売れたなと感じています。台湾でも元気に活躍しているのかなぁ〜

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