保育園へ力強く踏み出していった息子をみて、ようやくホッとした
新型コロナウイルスによる保育園休園や、続く自主保育を終えて、6月末からようやく保育園に通い始めました。
以前も保育園通いしてたけど、また最初は慣れるまで大変だろうなとか、本当にもう通わせていいのかとか、いろいろ考えはしたけれど、
初めて入った部屋で抱っこ紐から息子をおろしたとき、目の前に広がる新しい場所、広い世界目がけて力強くハイハイしだした姿をみて、ようやく罪悪感が消えていく感覚を覚えました。
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登園自粛期間はやっぱり辛かった。リビングダイニングの大部分は息子のテリトリーになり、大人はベビーゲートに足をぶつけたり、体をひねって狭い隙間を通りながら生活する毎日。ベビーゲートの中で邪魔されながら必死に仕事したり、抱っこしてみたり、夜に埋め合わせをしてみたり...。
「子どもが家にずっといる」状況でなんとか仕事と子育てを両立しようと頑張ってみたけれど、とても「両立」にはほど遠く、両者がお互いにもたれかかっているような状況で、なんとか毎日、最低ラインをクリアすることで精一杯だった気がします。
その中でチクチクと罪悪感を感じていたことは、息子の環境のこと。
外出と言っても家の周りの数パターンのルートをぐるぐるお散歩するだけ、おもちゃも当然同じものの組み合わせ。お友だちと会う機会もない...。なんか毎日が変わりばえしなさすぎなのではないかと。。
保育園に通い始める前は、子育て支援センターや子ども関連施設に行っていました。ずっと家にいるよりは確実に刺激もあっただろうし、外出することで私の気分もきっと変わっていたと思います。「子どもと一緒に過ごせる場所が家しかない」というのは、こんなに辛いことなのかと身に沁みて思いました。
もちろん、子どもは大人が愛情をかけて向き合えばそれでいいとか、子どもはどんな環境でもクリエイティブに楽しめるとか、そういう意見は聞いたことはあるし、そうだとも思うけど、その考えを根拠に自信を持つこともできず...。きっと世の中のみんながそうだと思うけど、普段と違う、常にどこかに不安やピリピリがある状態が自分への負担になっていて、考え方にも影響していたんだろうと思います。
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そんなこんなで迎えた初登園日。いろいろなことがいつも以上に不透明な状況ではあるけれど、イキイキしている息子の様子を見て、息子の居場所を広げられたという点は、私たちにとっては確実に良かったことだと思えました。
以前保育園に通っていたことはすっかり忘れたのか、それとこれは別なのか、登園時のギャン泣き期間もキッチリ通過して、今ではお迎えに行っても、もっと遊んでいたそうな素振りを見せてきます。
毎日感染症対策をしながら園の運営をしてくださっている先生方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。今までの日常があたりまえじゃなくなっちゃったんだな...と、どうしようもないと分かりつつ、ふとたまに悲しくなるけど、そう、悲しくなってしまうから、あまり真面目に深刻に考えすぎないようにしようと思います。とにかく息子は育っている。それで良い。
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