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9月13日(水)

よるご飯
野菜炒め、豆腐と白菜の味噌汁、ピオーネ、いちじく2個

今日頭の中をぐるぐるしていたのは
我慢について

昭和40年代に生まれた私は
とにかく我慢ということを強いられるというか
刷り込まれた時代を生きてきた
我慢した先にはいいことが待っているとか
先輩のいう事や目上の意見は我慢して聞く等々

私自身、父は幼い頃に死別し
母が女手一つで兄と私を育ててくれた

振り返っても、母から我慢しなさいとは
おそらく言われたことがないなぁと思う
なのになぜ私はこんなにも我慢することになれてしまったのか

今日は少し謎を解いてみよう

①目上の人に対して違う意見をもっていても
 立場を考えて口を閉ざす
②やりたいことや興味があることに思い切って一歩踏み出せない
③恋人がこそこそと私に何か隠し事がある態度をとられているのに
 そのことについて聞けない

まず①について
これは、発言したことで場の雰囲気や
今後自分に対する態度が変わるのではないかという恐れ→これは我慢ではない
次に②について
今50代半ばで、今の職場を辞めてしまっていいのか
やりたい職種でうまくやっていけるのかという不安→これも我慢ではない
最後は③について
突っ込んで聞くことではぐらかされてしまうがっかり感→これも我慢ではない

①はタイミングや伝え方を考えればできる
もし、態度が変わるのであればさらに上の上司に伝えればよい
(孤立してしまわないように注意する)
②は勇気。安定した職場であっても、人はいずれ天に昇ってしまうのだから
そのときにやっておけばよかったという後悔をしないためには
やってみる。書くのは簡単だけど、これはまだ答えを出せない悩みだ。
③はふつふつと悶々とする時間がもったいないだけで聞けばすむこと
将来の期待をしない。一緒に暮らしても同じことを繰り返すだけ。
無駄だ。

ということを考えると頭の中でもやもやや不安や恐れを
我慢に変換しているだけなのかも。

過去に、自分のやりたいことの過程において時間をかけたことは
我慢したからではなく、自分なりの努力で培ったもの。

我慢強いではなく、努力家。いやこれも違う。
やりたいことの場合は、本人にとってはどっちでもいいのだ。

とにかく自分で暗い方へもっていこうとする癖がそう思わせているにすぎないのかも。

日記で頭が疲れるのはそれこそ野暮なので
今日はこれくらいにしておこう。

グッナイ


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