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腐草為螢(くされたるくさほたるとなる)|七十二候

草の中から蛍が舞い、光を放ち始める頃。水辺や野の暗がりに浮かんでは消える蛍の光は、まさに夏の風物詩ですね。昔は暑さに蒸れて腐った草や竹の根が、蛍になると信じられていたそうです。

私が初めて一人で駒の湯山荘を訪れたのは
昭和46年、17歳の夏です。

まだ今のような車が通れる橋(永久橋)も
かかっておらず、揺れる吊り橋を怖々と、
でもしっかり自分が食べるスイカは背負って
渡りました。

そして蛍を初めて見たのもこの時です。
夜、電気もない駒の湯山荘が
山腹にびっしりといる蛍の光で
まるで昼間のように明るいのです。

よくプラネタリウムの最後に
宇宙の星々を一斉に光らせますよね。
あれと同じような感じです。

昔の人が蛍の光で勉強をしたって言うのを聞いた時、
まさか、あのほの暗い蛍の光で
勉強なんてできるわけないだろう
って思っていたのですが、

出来ますね。

本当に昼間のように明るいのです。

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その蛍が、今は一匹もいません。

それは駒の湯山荘の先まで
道路を引いてしまったためです。
道路を引いたことによって、
水路が絶たれてしまったからです。

駒の湯山荘の周りの山々は山菜の宝庫で、
だから駒の湯山荘では美味しい山菜料理を
たくさんお出ししているのですが、
それはさておき、
そんな山菜の宝庫の奥の山を地主さんから
「駒の湯山荘のちょっと先(山の方)まで
 車で行けたら、山菜採りの時に助かる」
そうお願いされて、
皆さんが喜んでいただけるのなら
と先代(祖父)が道路を引くことを許可してしまったのです。

先代は本当に優しい人で
道路を引く時も、
「皆さんに喜んでいただける」と
嬉しそうに話していたのをよく覚えています。

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でも、道路を引いた翌年から
ぴたっと蛍がいなくなりました。

無知だったのです。

道路を引くことで
水路を絶つことになるとは
知らなかったのです。

なぜあの時道路を引くのを止めなかったのだろうと、
夫も最後まで悔いていました。

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後悔は胸を苦しくします。
ああすれば良かった。
こうすれば良かった。
思えば思うほど、胸が苦しくなります。

気功的にいうと、
胸を苦しくさせる一番の原因は執着心です。
心は辛いこと、苦しいことにも執着しますし、
逆に楽しいこと、良いことにも執着します。

そして執着すればするほど
胸の真ん中にある
中丹田(壇中のツボのあたり)が
詰まってきます。
苦しくなってきます。

そんな時、胸のところで手を合わせる
合掌の瞑想法がおすすめです。

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キリスト教も
仏教も
どんな宗派の宗教も
必ず合掌をしますよね。

そういう意味で合掌の瞑想法は
誰もが一度はしたことがあるポーズですので
やりやすい気功法だと思います。

合掌

具体的には
胸(中丹田)のところで
手を合わせ合掌し瞑想し
中丹田にエネルギーを集めます。

この時、手の付け根を
壇中のツボに当てるようにします。
そして両手を合わせて
力は手と手の間、
真ん中に集めます。
一方、意識は反対に
両方に開いていくようにします。

中丹田に溜まった悩み
心の悩み、胸のつかえを
すーっと任脈を通して下に流します。
最初は上手く流れないかもしれませんが
やり続けると、任脈(青い線)の道が通り
流れるようになります。

最近、自発動でばーっと発散した後、
最後にすーっと静かに
自然に胸のところで手を合わせて
合掌している自分に気づきます。

手を合わせる
=手の皴と皴を合わせる
=しわ・あわせ
=幸せ

そうか。
私は、近頃、幸せなのかもしれない。


でも・・・!
もし今もあの蛍の群生がいたら。。。!
$$$$$!

まだまだ現世の欲からは
離れられませんえぇ。

秘湯と気功に感謝を込めて。