帰国します!~アメリカで最後のハロウィンに想いを込めて...
12年のアメリカ生活を経て、New Chapterへ…
2012年の9月、旦那さんとの結婚を機にアメリカへ移住し、気づけば12年。この度、ふたりと一匹で日本へ帰国することにしました。12年前にアメリカへ渡ったときには考えてもいなかった、まさかの展開。私たちには子供がいないので、万が一旦那さんが先立った場合、私がアメリカに残る特別な理由はなく、その時は帰国するだろうなとは思っていたので、常にどかかで浦島太郎にならないようにと、それなりに気を付けていましたが、まさかこのタイミングでみんなで日本に帰ることになろうとは。
帰国後は母と一緒に暮らすことになるので、New Chapterは「ふたりと一匹~そして母」だそうです。命名は母(笑)。
帰国を決めた経緯
みんなで帰国プランが持ち上がったのは1年前のことでした。1年前といえば私の乳がんが発覚した頃で、どのタイミングだったかは正確に覚えていませんが、ある日、旦那さんからこう切り出されました。
「日本に帰ろうか」
何を突然、と驚きで言葉を失っていた私に、彼はこう続けました。
「Machikoがアメリカに来て10年経ったでしょ。この10年に何があった?
お父さんが亡くなったでしょ。お母さんがまだ元気なうちに日本に帰って、お母さんと一緒の時間を過ごした方がいい。今度はMachikoが家族と一緒にいる番だ」
後から聞いたところ、昨年の1月末に一時帰国した際に、実家で母と私が夜な夜なおしゃべりをする姿を見て、ずっと考えていたとのことでした。私の乳がん発覚が最後の一押しとなったようです。
そんな提案を受けた私はというと、とにかく驚くとともに、「いいの?」という思いも強くありましたが、それ以来「乳がんを治してみんなで日本に帰る!」という目標が、ガンとの戦いの大きなモチベーションになりました。この話をするたびに「なんていい旦那さんなの!」と彼の旦那さん株は爆上がり。そして、そんな家族や友人たちの反応を見て、すごい人と一緒になったものだ、と改めて実感している私です。
未来は明るい!
乳がん治療もひと段落し、どうしてもお正月は日本で過ごしたいという私の希望で12月に帰国が決定しました。12年前にも経験したことではありますが、国をまたいでの引っ越しは大変なものです。特に、アメリカ人国籍の旦那さんと猫に関するあれやこれやは想像以上。でも、私の闘病を支えてくれた彼と猫のため、愚痴をこぼす気も暇もありません。ここは頑張りどころ。
ドクターのひとりと、私の帰国について話しているときに、私が「日本の方ができることのOption(選択肢)はあるからね」と言ったところ「Help(助け)もね」とつけたされたことがありましたが、確かにその通り。やっぱり物理的に家族がそばにいるのは心強いし、何かと気軽に意見を聞ける友人も日本のほうが多いし、日々の生活を「こういうもんだ」の感覚でスムーズに進めることができるのもやっぱり日本ですからね。
日本へ帰ってやりたいことはたくさんあります。
渡米前にも興味があった「通訳案内士(英語ガイド)」の試験にも挑戦して通訳ガイドの仕事もしたいし、日本在住の外国人のサポートもしたい。日本国外で12年間過ごした今なら、日本で頑張っている外国人に、より自然に寄り添える気がするのです。私が「外国人」としてアメリカで助けてもらった分を、日本で返していきたいと思っています。そうやって世界は回っている、と今は強く信じることができます。
私のもっとも身近な外国人である旦那さんのこともしっかりサポートしていきいますよ。彼自身の不安よりも「今、Machikoにお母さんと一緒に過ごすチャンスを与えなかったら、後で自分が後悔する」という思いを優先して、この大きなアドベンチャーに踏み切ってくれた彼への感謝の気持ちだけは忘れるわけにはいきません。
私が思いついたことはとりあえず口に出して、そこから始めるタイプなら、自分の中で熟考して、ある程度の目途がついていから発言するのが旦那さん。そんな彼から、先日、これまた嬉しいお誘いがありました。
「日本についてのPodcastを一緒にやりたい」
まだまだ企画段階ではありますが、日本のあれこれを日本人の私が日本語でリサーチできるというメリットも生かして、日本について、ちょっと深堀した内容を、英語で発信する予定です。通訳ガイドを目指す私にとっても、外国人が興味を持ちそうな日本のことを調べて、それを英語で発信するのは、かなりいい勉強になること間違いなし。実は渡米前、仕事の一環でしゃべることもかじっていたことがあって、ラジオパーソナリティは私のDream jobでした。PodcastとYoutubeで、まさかの英語での発信というレベルの高さとはなるものの、私にとっては心弾むWin-win企画。
こちらも落ち着いたら、Noteで紹介&宣伝していきたいと思っていまーす。
そうそう先日、帰国の準備をしていると、随分前に亡き父から届いたカードのある一文に目が留まりました。
「来る年も、各々、自分らしく楽しく生きることを優先して生活しましょう。お互いにね」
戦争真っただ中に生まれ、日本社会に生きた日本人でありながら、70歳を超えて娘にこんな風に言える父って、やっぱすごい。
そして、今このメッセージに目が留まったのは、きっと父が今私に伝えたいと思ったから。
New Chapterへ突入する私たちへの激励の言葉なんじゃないかな。
アメリカで最後のハロウィン
私のアメリカ生活も残り1ヶ月ちょっと。12年前に日本から引っ越した先はベイエリアでしたが、それから2年も経たずに現在住むサクラメントエリアへと移り住みました。日本人をはじめとするアジア人が多いベイエリアと比べると、断然アウェイ感が強いサクラメントに移ったことで、私が鍛えられたのは確かですね。
0から築いたキャリア、人間関係を含め、私のアメリカでの「Life」は間違いなくここにありました。いざ日本帰国となると、帰ることのワクワク感と今の生活を去ることへの寂しさが入り交ざり、いわゆるMixed feelingって感じ。特に乳がんと共に過ごした最後の1年間は忘れがたいものがあります。病院へ行かないでいいことは嬉しいことですが、その病院さえも懐かしく思うことは間違いないでしょう。
今はとにかく、残り少ないアメリカ生活を牛のようにハムハムと噛む閉める毎日。
明日は、アメリカ生活最後のハロウィンです。渡米以来、毎年欠かさずカボチャを彫ってきましたが、それも今年が最後。毎年勝手に「テーマ」を決めて作るのが私流。去年は「あらゆる手を使ってガンに勝つんだ!」の想いを込めて、テーマは「忍者」でしたっけ。手裏剣の目に、爆弾の鼻に、剣の口。なかなか攻めた作品でした。
今年はうってかわってこんな感じに👇
テーマは「希望をもって歩き続けよう」
去年のちょうど今頃、抗癌剤が始まる直前に夢を見ました。職場で一緒に働いている子に「ひとつひとつ希望をつないで生きるんだよ」と私が説明している夢。それほど仲がいいわけでもないその子に、なぜか日本語でそう言っている自分の姿を強烈に覚えている状態で目覚め、あぁ、これは私の女神様からの言葉なんだと自然に思えたものでした。
大変だった一年間、それでも希望をつないで毎日を過ごし、ここまでたどり着きました。これからもきっと同じこと。
道は凸凹かもしれない。
それでも星に願いを込めて、希望の虹を目指して前へ進むのです。
あ、こちらも毎年恒例となっている猫のもなかの手作りコスチューム。
今年はこんな感じになりました👇
もなかの日本行きフライトが、少しでも心地よいものになるように願いを込めて、手作りトラベルピローをプレゼント。少しでもやる気になってもらえるように、おまけでパスポートも用意しました。
初めての猫を連れてのフライトにドキドキしているのは私のほうですが、実際、頑張るのはもなかのほう。
一緒にいるから頑張ろうね、もなか。