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「アメリカでは謝ってはダメ」の謎
こんなことを耳にしたことはないだろうか。
・アメリカ人は自己主張が強い
・アメリカでは謝ったら負け
・日本人は「No」と言えない
良くも悪くも、あくまでも「お国柄」として言われることだけど、実際のところはどうなんだろう。日本で生まれ育ち、一人前の大人になってからの12年間をアメリカで過ごし、また日本へと帰ってきた私の率直な感想は、
とはいえ、人による。
何かにつけて訴訟好き(これは多分本当)のアメリカでは、
『謝る=自分の非を認める』の考えがあるにはあるようだけど、日常生活においては、本当に人によるって感じ。
例えば、私がアメリカで働いていたベーカリーのアシスタントマネージャーの女性(多分50代/白人)は、私が驚くほど「Sorry」を口にする人だった。例えば、意図せず誰かの行く手に立ってしまたとき、誰かの机に自分のペンを置いていたとき、袋詰めしていたクッキーのカケラを落としてしまった時などなど。ちなみに彼女は、仕事も家庭も充実していて、やりたいことをやって日々エンジョイしているタイプ。
同じ場面で「すいません」と「ごめんなさい」を自然に口にする日本人の姿は極々自然な感じがするけれど、彼女がそれと同じ勢いで「Sorry」を口にする場面を目にするたびに、多かれ少なかれ「アメリカ人は謝らない」の概念を持っていた私は「へぇ~」と思ったものだった。
という私も、やっぱり日本人で、多少気にはしていたものの、まわりのアメリカ人と比べたら「Sorry」の数は多かった思う。自分の感覚で「Sorry」を口にすることには納得していた一方で、微妙に気になっていたことがあった。それは私の「Sorry」に対してよく返ってきたこの言葉。
「You're fine」
文字通り訳せば「あなたは大丈夫」で、「That's okay」とか「No problem」などと同じく、「Sorry」に対する典型的な答え方のひとつ。でも、なんだかこの「You're fine」にはひっかかるものがあったんだよなぁ…
例えば廊下の曲がり角で、お互いに相手の姿が見えずにぶつかりそうになった場面。反射的に口に出た私の「Sorry!」に対して「You're fine」と言われると、私が悪かったわけでもないんだけどな…なんて思ってしまうわけ。なんかちょっとエラそうじゃない…? ってね。
これが例えば、ベーカリーで私が特別オーダーを見落として、その分のパンを焼いていなかったしよう。冷や汗もんで「Sorry」する私へのボスの「You're fine」は、ホッとする以外の何物でもない。
これが日本人には分かってもらえる感覚なのか、私特有の感覚なのかは定かではないけれど、とにかく私が「Sorry」と言われたときに愛用していたのは「No problem」だった。
先日、アメリカ人の旦那さんと日本人の私の母のこんなやりとりに、別室でダンボと化していた私。
母が居間で掃除機をかけている間に、旦那さんが居間のソファに落ち着いた様子。掃除機のコンセントを抜く際に、コードを彼の足元を通さなければならず、「ごめんなさいね」と声をかけた母。それに対して彼が「謝ることじゃないよ」と返したことで会話が膨らんだ。何かとよく話をするふたりなので、この微妙な感覚のズレについて話しあった結果、母がいきついた。
「そうかそうか、あのぅ、えっと… Excuse meってことか!」
七十云歳の母、やるじゃん。
英語の「Sorry」と「Excuse me」は確かに別物。
「Excuse me」は日本語にすれば「すみません」となるけど、日本語の「すみません」と「ごめんなさい」の差はあるようなないようなレベル。
それもあって、日本人は英語でも比較的言いやすい「Sorry」を使うのだろう。だって、曲がり角でのニアミス時に「Excuse me」が出たら、お、私、やるなって感じだったもん。
ということは、まずは日本語を変えてみるのもひとつだったり?
ここは「おっと失礼」「ちょっと失礼」にしてみるか…
アメリカへ引っ越したばかりの頃、少しの間だけ日本の翻訳会社のアメリカ支社で働いていたことがあった。生まれて始めての典型的なオフィス仕事にどうしても馴染めず、そこへきて『私の最初のベーカリー』に出会い、結局1年ちょっとで運命的なキャリアチェンジ。翻訳会社では翻訳者としてではなく、仕事の依頼を受けて、その内容や条件に応じた翻訳者をアサインするのが私の仕事。一日中椅子に座って、パソコンと向き合う窮屈さと共に、私の中でムクムクと膨れ上がったある違和感があった。
私は毎日、なんでこんなに謝っているんだろう?
日本語でも英語でも、繰り返すのは
・お忙しいところ申し訳ありません。
・返信が遅れてすみません。
・これ以上納期がのばせず、ごめんなさい。
・申し訳ありませんが、修正してください。
などなど。
間の人という仕事の性質上、仕方のないことなのかもしれないけど、なんで私は人の代わりにこんなに謝っているんだろう?
私のせいじゃないのに、とりあえず謝っているのはなぜ?
昨年、アメリカで乳がんに罹患したとき、診断時から検査、治療、手術などの長い道のりを私と伴走してくれた大切な友達がいる。
彼女から学んだ大切な教え。
「謝るんじゃなくて、感謝すればいいんだよ。
忙しいのに迎えに来てくれてごめんね、じゃなくて、忙しいところ迎え
に来てくれてありがとう!
心配かけてごめんね、じゃなくて、心配してくれてありがとう!って」
目から鱗。
お詫びではなく感謝を送るこの技は、受け取り手だけでなく、送り手の心をもハッピーにするスゴ技だった。
何かと「すみません」の角度から入っていくコミュニケーションになりがちな日本人コミュニティにおいては、時として容易でないこともあるけれど、そこをどう「ありがとう」に言い換えるかは、頭の使いどころでもあって、これが結構楽しかったりもする。
「お手数をおかけして申し訳ありませんでした」
という、ありがちなこのフレーズ。
あなたなら、どう「ありがとう」に言い換えますか?