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乳がん手術 in アメリカ


ざっと説明を

4月25日に乳がん手術をうけてきました。ここはアメリカカリフォルニア。日本とは違うところも多々あるようです。
手術は両側乳房全摘出手術。英語ではbilateral mastectomyと言います。私は両側にタイプが異なる乳がんを発症し、左側はリンパへの転移も認められました。ちなみに、両側に、転移ではない異なるタイプの乳がんを同時期に発症するケースは珍しいらしく、こちらのドクターには確率として4%とも2%とも言われました。
手術前に約半年かけて抗癌剤治療をして、がんを小さくしてからの手術。手術と同時にセンチネル生検というリンパへの転移を調べて、怪しいところは手術の一環で切り取るということも行われました。
執刀医は、サバサバ美人のDr.B。いい評判しか聞かないし、何よりも初対面から❝いい感じ❞がしたので、安心してお任せするとこにしました。

センチネル生検で注射8ヶ所!

手術そのものに目が行きがちで、私もたいした予習をせずに挑んだのがセンチネル生検の前注射。要は、手術前に注射した薬が怪しいところに反応して、ドクターが手術中に確認して取り除くかどうか判断するもの、と認識しています。
注射は手術日の朝。てっきり脇の下にうつのかと思っていたら、これがなんと片胸に4ヶ所の注射なのです。つまり、私の場合は計8ヶ所。そしてこれが地味に痛かった。注射には強い方ですが、地味な痛みに8回耐えることは予定外でヤレヤレなスタートでした。
でも、担当してくれた看護師さんが優しく、そして明るくて、終わってからもホットパットを両胸にあてて、1階から2階へ移動するために、前開きできていた病院ガウンに重ねて、後ろ開きでガウンを着せてくれました。病院のガウンってビロ~ンと開くようになっているのでね。さらにあったかいブランケットを肩にかけてくれ、痛みがほっこりに変わりました。手術前の体重測定は普段の2~3キロ増しでしたけどね(笑)。

勝手が知った術前準備

術前準備は、病院ガウンに着替えて(私は既に2枚着ていたので1枚脱ぐ)、滑り止めがついた病院靴下を装着。尿検査。そして、肺炎防止の歯磨きとうがい。良かれ悪かれ、この工程には慣れっこの私。これで3回目(4回目かな?)ですので。
少し待つと、執刀医のDr. Bが来て胸にマジックで印を描きこみ、改めて手術の説明。私と、付き添ってくれた旦那さんと固い握手を交わして去っていきました。
続いては、麻酔ドクターの登場。説明を受けて質問はあるかと聞かれたので、麻酔からどのうように覚めるのかを聞きました。回答は、リバース(麻酔から覚める薬を入れる)はせずに自然に目覚めるとのことでした。

麻酔前にノックダウン~手術中

手術室に入って手術台に横になると、さすがに緊張しました。それを感じとってなのか、そういうものなのかは分かりませんが、麻酔ドクターから「リラックスするものを入れたい?」と聞かれたので、迷わず「Yes」。そしてそこからは夢の中の記憶になります。リラックスするものというのは、おそらく鎮静剤のことで、本格的な麻酔ではないはずなのですが、私はもともとこの手のものが効きやすいタイプなので、麻酔をして「10から逆にカウントして」「10、9、8、7、zzzzz」みたいなこともないノックダウンでした。

手術中は夢を見ていました。手術自体は4時間半かかりましたが、今でも鮮明に覚えているのが、パンを焼いている夢。職場のデッキオーブンでサワードゥブレッドの焼き具合をチェックしていて、そのときのパンの姿は今でもはっきり覚えています。なんて働き者の私。
でも、楽しい、幸せな時間でした。

ついに目覚めたと思ったら…

正午頃に始まった手術。4時間半かかったので、終わったのは4時半頃だったかと思われます。そこから2時間程度で麻酔から覚める予定だったのですが、どうも麻酔がよーく効いていて眠り続けた私。
そのまた数時間後、名前を呼ばれて、半分寝ているような状態で、ついに目覚めました。Dr. Bがいました。で、そのDr. Bに私が最初に言ったのは「I was baking (私、パンを焼いていました)」。自分でも、頭ではそれが手術中の夢だったことを理解していたのですが、なんだか言わなきゃいけない気がしまして。と、同時に自分がおかしなことを言っているということも分かり、笑えてきて。Dr. Bは「手術後はいろんなクレイジーなことを聞いてきたけど、これまた珍しいことを聞いたわ」と笑っていました。後ほど、その場にいた看護師さんにからも「You were hilarious! (あなた、超笑えた!」と。
半寝状態ながら、現在時刻を聞くと、なんと8時過ぎ。
あー、これはお母さんが心配してるなぁと思ったのを覚えています。

おまけつきの手術後

今回の手術、可能であれば日帰りするつもりでいました。不安はあったものの、アメリカでは乳がん手術は日帰りが当然のことでして。入院もただではないし、病院にいても家にいてもやることが同じなら帰ろうと思っていました。ところが術前に、Dr. Bに「特別な理由がなければMastoctomyの場合は一晩泊まって」と言われ、あっさりと日帰りプランは消え去りました。

さて、長い麻酔から覚めたものの、もう眠くて眠くて。それでも前日からの絶食を考えると何か食べた方がいいだろうと思い、看護師さんからターキーサンドイッチをもらいました。食パンにターキーが挟まれ、ふたつにカットされたものです。食べながらも、どうにも眠くて、まさに咀嚼しながら寝てしまうのです。喉に詰まらせてはいけないからと何度も看護師さんに起こされながらも、ひとつ食べきることができませんでした。
いや~、あの眠気はすさまじかった。

少し目を開けていられるようになると、今度は視界が定まらず。目の前にある壁掛け時計が上下にグワングワン動いて見えたのです。グルグルしていたら眩暈だと思ったのでしょうが、上下にグワングワンだったので眩暈だとは思わず、看護師さんに視界が定まらないと伝えましたが、麻酔のせいだと思うよと言われ…

それまで術後のリカバリースペースで寝ていたのですが、部屋が空いたということで移動することになりました。ベッドごとの移動だったのですが、動いたせいか、突然の強い吐き気におそわれ、最初のオエ。頑張って食べたターキーサンドイッチは一瞬でなくなりました。その後、トイレに行きたくなり看護師さんに車いすでトイレまで連れていってもらいましたが、トイレの便座に移動すると、またしても強い吐き気。2度目のオエ。なんとかトイレを済ませ、部屋に戻りベッドに移動して3度目のオエ。痛み止めだか眩暈止めだかの薬を飲みましたが、その直後に4度目のオエ。
「抗癌剤でもこんなに吐かなかったのに~」
「もう吐くものないよ~」
と看護師さんに言ったのは覚えています。

なんとかベッドに落ち着いて休んでいると、体から出ているドレーンの排出量をチェックしに来た看護師さんの様子がおかしい。その後、看護師さんの数が増え、術後に巻かれたバンドの下に厚いガーゼが挟まれました。このときの私に何が起きていたかというと、血種ができて、そのせいで胸が膨らみ、ドレーンには塊を含んだ血液がつまりながらも流れていたのです。深夜過ぎの出来事でしたが、看護師さんがDr. Bに電話して処置法をきいて対処してくれたので助かりました。気づかなかった場合、またはドレーンが完全に詰まってしまっていた場合は、手術室に後戻りだったとのことです。
ちなみに、数日前の診察時、Dr. Bに血種が起こる確率をきいたところ、
2~3%とのこと!いやはや。
翌日にはおさまってきていたので、予定通り退院したものの、思わぬおまけつきの術後の晩でした。

心に残る看護師さん

稀な血種を無事に乗り越えられたことには、主に面倒をみてくれた看護師さんのおかげです。アジア系でまだ若い(多分30代)看護師さんでしたが、深夜の出来事がひと段落したころだったでしょうか、突然自分のことを私に話してくれました。
簡単に書くと、彼女の祖母、叔母が乳がんを発症したため、DNA検査をしたところ、結果が陽性だった。つまり、彼女自身はまだ発症していないものの将来的ながん発症リスクが高く、ドクターからは予防のために卵管の摘出と乳房の摘出を勧められているが、決めかねている、ということでした。
彼女が私に乳房の再建を考えているかと聞くので、考えていないと答えました。彼女は、再建後数年して問題があって戻って来る患者さんの姿を見て、自分も再建するするもりはないものの、手術する決心がまだつかない、と。発症して治療の一環としての手術なら、そういうものと思えるものの、将来的なリスクのために、発症していない体を切ることをためらうのは当然です。「ドクターに会うたびに『どっちからにするか決めた?』って聞かれる」という彼女に「そんな簡単な話じゃないよね」としか言えませんでした。
深夜に突然始まった会話で、麻酔と嘔吐後の頭だったこともあってか、それ以上のことを言うことができませんでしたが、退院してからもずっと彼女のことが気になっていました。そして、もう一度彼女に会うことができたら伝えたいことがはっきりしました。それは、自分で決断するということ。どんな決断であれ、その結果がどう出ようと、自分で決断した、という自覚があれば自分で納得がいくだろうから。

術後1週間のDr. Bの診察ではまだ血種があるとのことで、まさかの再手術の案が浮上。手術自体は簡単とのことでしたが、全身麻酔になるので、あの工程をもう1度するなんて勘弁してということで、とりあえず様子見をすることにしました。

術後2週間の診察では、まだ血種はあるものの徐々に良くなってきているから、ドレーンをつけたまま様子を見て、ドレーンを抜いた後、必要であれば注射器で抜く、ということになり手術プランは消え去りました。
再手術の可能性が浮上したとき、何とか回避したいと強く思ったものの、どうしても回避できないのであれば、もう一度彼女に会って話ができる、というのが唯一のプラス要素だったんですけどね。

私が退院するとき、ちょうど引き継ぎのタイミングで、私より先に病室を出ていかなければならなかった彼女。「頑張ってね」と手を振ってくれた笑顔が忘れられません。私も「あなたも頑張ってね」と返しましたが、あのとき、あの空間に流れていた空気感は、看護師と患者以上のものだったと
感じました。

よし、頑張ろう。


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