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免許更新レポート in カリフォルニア州

アメリカの自動車免許センター「DMV」とは?

先週の運転免許の書き換えに備えての目医者訪問レポートに引き続き、今回は免許書き換えレポートを。

アメリカにおいて、日本の自動車免許センターにあたるのは、DMV (Department of Motor Vehicles)です。日本と違い、アメリカでは免許取得のための講習も自動車教習も必須ではありません。各自で勉強をしてDMVにて筆記試験を受験します。その後、behind the wheel testと呼ばれる路上での実技試験をパスすれば免許取得。とはいえ、自動車学校なるものも存在はして、初めて免許をとる学生とかは利用しているようです。運転実技の家庭教師みたいな感覚になるのでしょうが、費用を払って家庭教師を雇うより、親や兄弟に運転を教えてもらう人の方が多いでしょうね。車社会アメリカだけあって、運転免許の取得は日本と比べると、時間もお金もかかりませんが、各自でDMVでの筆記試験や実技試験の予約をとりつける必要があります。DMVでは、その他にも交通違反の罰金の支払いなど、自動車関連業務一般が行われますので、とにかく混んでいるというイメージが。ディズニー映画『ズートピア』のDMVの窓口スタッフが「今日は~、、、何の~、、、よ~~~じでぇ、、、」みたいにすごーくゆっくりなナマケモノなのも、そのイメージの象徴なのでしょう。DMVにお勤めの人には失礼だとは承知の上、私はDMVというと『ズートピア』のナマケモノを思い描いてしまいます。ということもあり、長い待ち時間を覚悟して出向くのがDMV。ところがパンデミック以降、事前のネット予約が基本となり、この混雑がかなり緩和された様子。私の場合も、入口での手続き内容の確認から、実際の手続き、視力検査、支払い、写真撮影、仮の新規免許の発行まで占めて20分という驚くべく早さでした。
たったの20分の出来事ではありましたが、その内容を少し詳しく振り返ってみたいと思います。

事前のネット予約

まずは、この20分には含まれない事前のネット予約について。ちなみに、数ヶ月前に、郵送にて免許書き換えの通知が届きました。それによると、DMVに行かずにオンライン、または紙面の郵送での書き換えも可能とのことでした。でもその場合、自分で視力検査の証明や写真の撮影をする必要があります。その方が手間がかかりそうなので、新調した眼鏡が手元に届いた時点で、DMVでの書き換えをネット予約することにしました。

さて、パソコンにて予約作業を始めた矢先、内容は忘れてしまいましたが、早速、疑問点が発覚。同じ部屋でくつろいでいた旦那さんに確認することに。すると、それを機に、なんと旦那さんが予約作業を引き継いでくれたのです。こういうのって、本当は苦労しても自分でやった方が勉強になるのは分かっているのですが、次の書き換えは当分先のことだし、ならば素直に「ありがとう!」です。ちなみにカリフォルニアでは、現在REAL IDへの書き換えが推奨されています。REAL IDというのは、偽造防止機能と読み取り機能の入った免許証のこと。アメリカでは国内線に搭乗する際、普通免許証をIDとして提示しますが、来年の5月以降は、REAL IDでなければIDとして認められなくなり、REAL IDを持っていないと、国内線でもパスポートを持ち歩かなくてはいけなくなるそうです。ということで、今回の免許書き換えで、私もREAL IDにすることに。ちなみに、旦那さんがREAL IDへの切り替えに必要な書類のダウンロードまでしてくれました。彼でさえ、そこそこの時間がかかっていましたので、自分でやったら、さぞかし大変だったことでしょう。素直に「助かったぁ」と思うのと同時に、このひと手間を省いてしまった(楽をしてしまった)ことによる、私自身の理解の欠如が間違いなく発生していることへの不安がムクムク…

DMV到着

幸い、最寄りのDMVは車で10分とかからない距離なので、方向音痴の私でも珍しく迷わずに到着。緊張しながら入口を入り、要件を伝え、受付番号札をもらいました。番号は「F009」。さてと、まずは何がどういう仕組みになっているのかを探らねば。どうやら、要件ごとに受付にてA~Fで振り分けられ、免許の書き換えである「F」は「005」まで呼び出されているということのよう。そして「F」が呼び出される窓口は、10番、または13番。その場で必要書類を提出し、視力検査も行われるのですね。フムフム。再度、バッグの中に必要書類と眼鏡があることを確認していると、早速呼び出しがかかりました。ドキドキしながら窓口へ。準備不足による不安のせいか、窓口のお兄さんと挨拶をかわす自分の声が、心なしか小さ目であることを自覚。やばい、やばい。なぜか、母が小学生の頃、朝起きるとお父さん(私のおじいちゃん)によって工作や絵の宿題が完璧に出来上がっていた、という話が頭をよぎりました。自分でやればできるし、やるつもりだったのだけど、誰かが好意でやってくれてしまったことへの微妙な感じ、という意味では、近からず遠からずなのかな(笑)。

一連の手続き~微妙な感じは微妙に伝わる

そしてやはり、私の不安が的中する瞬間がやってきました。REAL IDへの切り替えに必要な書類は持参しているかと聞かれたので、印刷してきた書類を提出しました。すると今度は「Birth certificate(出生証明書)は?」と。はい?Birth certificate?それは聞いていないなぁ。窓口のお兄さんは、かたくなに「Birth certificateが必要です」と繰り返します。ここまできて退散したくないし、第一、日本で生まれた私の場合、ここで言うBirth certificateは戸籍謄本になるわけで、取得は可能ではあるけれど、そんな面倒くさいことはあり得ない。で、思いついたのが「グリーンカードはあります」でした。それには「グリーンカードでもいいです」という、やはり乾いた対応が返ってきました。最初から地元民(アメリカ人)でないことは明白だったはずなので、一言「グリーンカードでもいいですよ」と言ってくれてもいいのにな。

ちなみに私が住むこの地域の大多数は白人です。黒人もアジア人も確実に少数派。南米出身のラティーノですら、そう多くないのです。
銀行の窓口などでも、白人に対してのやたらとフレンドリーな対応と比べると「あら、こりゃまた随分ぶっきらぼう」なんていう対応にあうことも。気分を害すほどではないにせよ、思わず首をかしげたくなることもあり、これを「差別」と言う人もいるのでしょうが、私としては「ま、いっか」の範囲です。

必要書類とグリーンカードのコピー、親指指紋の読み取り、視力検査、支払いなど、淡々と手続きが進み、写真撮影のレーンへ進むように言われました。
あと一息です。写真撮影の担当は、それまでの緊張が吹き飛ぶような明るさとオープンな雰囲気の白人のおばちゃんでした。正直、少しホッとしましたね。視力検査を眼鏡をかけてパスしましたので、撮影のために眼鏡をかけようとした私に「眼鏡でテストをパスしたからって、眼鏡しなくてもいいのよ。眼鏡なしでいく?」と。あら親切。そういうことならと眼鏡なしで撮影を済ませ、仮の新免許証を渡され「You're all set!」これで全て終了です。

アメリカでは、私は「外国人」

当然のことながら、アメリカでは、日本人の私は「外国人」です。アメリカ人にとっては、私の見た目はもちろん、態度や話っぷりからしても、私は100%アジア人にうつることでしょう。移民の国アメリカですから、いわゆる「外国人」に出会うことは日常茶飯事であるにもかかわらず、そんな「外国人」に対して「ちょっと面倒くさいな」と思っていたとすると、その思いは相手に微妙に伝わるものなんですね。
誰もが皆、自国を一歩出れば「外国人」。そして実際に自分が「外国人」になることで初めて実感しました。

移民の主張

つい先日、職場のグアテマラ人の上司と、こんな話になりました。彼の下には、メキシコ人の女の子が二人と、白人の女の子が二人働いています。彼はメキシコ人の女の子たちに対しては、基本的にスペイン語で話をします。そして、それを良く思っていないのが、白人の女の子のうちのひとりなのだとか。スペイン語での会話は、自分についての悪口だと勘繰り、グアテマラ人の更に上のボスに物申したとか。物申されたボスとしては、立場上、グアテマラ人の彼にスペイン語を使った場合は、白人の彼女に何を話したかを英語で説明することを求めたそうですが、グアテマラ人の彼は「冗談じゃない!」と憤慨。彼としては、スペイン語を母国語とするスタッフとの意思疎通にはスペイン語がベストであり、面白く思っていない白人の彼女が、そのスペイン語会話の内容を知りたいのであれば、自分でスペイン語を勉強すべきだと言うのです。自分たちはそうしてきた、と。一般的に職場では、いわゆる共通語である英語を使うべきということは理解した上で、私はこのグアテマラ人の彼の意見を応援したい。個人差はあれ、言葉の壁が原因で、悔しい思いや苦い経験をしてきた、移民組の素直な主張です。

免許書き換え無事終了のご褒美は…

さてさて、無事に免許更新を終えた私。自分へのご褒美の調達に向かった先は、お気に入りのドーナツショップ。カンボジア人ファミリー経営の典型的なドーナツショップで、オーナーのおじいちゃんはもちろん、その孫だか甥っ子だかのお兄さんとも、すっかり顔なじみ。お客さんには決まっておまけでドーナツホール(ドーナツの穴部分)をくれるお店なのですが、最近では、私がドーナツを2つ買うと、おまけのドーナツが1つ、ついてきます。私が、ここらでは珍しいアジア人の常連客だからかな?なんて思いながら、おまけのドーナツだけでなく、ドーナツのおじいちゃんやお兄さんのとびきりの笑顔を求めて、定期的にドーナツショップへ通う私です。アメリカにおいて、アジア人移民故の難しさや、もどかしさもあれば、だからこそ感じることができる人の優しさもあり、心温まる瞬間があります。そんな経験を経て、日本に住む日本人が、日本に住む「外国人」に優しくしてくれたらいいな、とついつい思いを馳せたくなる、私のアメリカ暮らしです。


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