日系アメリカ人旦那さんの日本語力
日系アメリカ人二世のだんな様
人生初の日本暮らしを始めた私の旦那さんは、大人になって日本からアメリカへ移住した日本人両親の元に生まれ育った日系二世のアメリカ人です。
私はよく「日本人のサラブレッドだね!」なんて冗談を言っているのですが、今日は、そんな彼の日本での不思議な日本語力について書いてみようと思います。
さて、この場で彼のことをなんて呼ぼうかなと思いましたが、私のアメリカ時代からのお友達で、noteにもたびたび登場してもらっているぶちこちゃんにならって「センセ」と呼ぶことにします。彼は学校の先生でもなければ医者でも弁護士でもありません。ぶちこちゃんがアメリカにいる頃、彼が私たちをアメリカの夏の風物詩であるFairに連れていってくれたことがありました。その時に、まだアメリカに慣れていないぶちこちゃんに『水筒を持ってくるように』とか『歩きやすい靴でくるように』などのアドバイスをしてくれて、それを聞いたぶちこちゃんが『遠足みたい!』となったことから生まれた呼び名なんです。
話は少しそれますが、高校時代の友達が葉山のヨットハーバーのサロンでバイトをしていたときに「先生」と呼ぶと大半の人が振り向いたと話していたことがありましたっけ。お医者さんも歯医者さんも弁護士さんも大学教授も、政治家も小説家も、日本ではみんな「先生」。
アメリカで生まれ育つ子供の日本語力は?
さてさて、そんな我が家の「センセ」の話に戻しましょう。
私と私の母の幸せを切に願うセンセの提案で、この度私にとっては12年ぶりの帰国、そしてセンセにとっては人生初の日本生活が始まりました。
日本人の両親に育てられたセンセは、今となっては想像が難しいのですが、幼稚園の頃までは日本語ペラペラだったそうです。日本人の母の国の言葉=母国語で育ったのですから、あたりまえと言えばあたりまえのことなんですけどね。幼い頃は日本の昔話や童話のレコードなどをよく聞いていたそうで、その日本語どこ行っちゃったの~?と言いたくもなるもの。
センセ曰く、テレビでアメリカのアニメを見るようになってから脳が英語になって、更に学校など、家族以外の人とのコミュニケーションがメインになるにつれて自然に日本語→英語になったとのことです。
アメリカの同じような環境の家庭では、日本語を維持するために週末は「補習校 (Japanese school)」に通っている日本人の子供が多くいます。子供にとっては、通常の学校に加えて週末も勉強になるのですから負担も多いのかもしれませんけどね。親が行かせている場合もあるし、子供なりに日本へよく行くとか日本の親戚と話がしたいなどの理由があったり、または単純に補習校の友達と仲がいいなどがないと、なかなか大変かもしれないですね。センセも小学生の頃に親に連れられ補習校に行ったことがあるそうですが、彼の場合は単純に負担でしかなかったようで、それが最初で最後の補習校だったそうです。
とは言え、センセは長男ということもあってか、子供の頃から学校からのお知らせなどがあると、英語をほとんど話さないお母さんに伝えるのが役目だったそうです。そう、多分日本語で。
親が日本語で話して、子供はそれに英語で答えるなんていうのも日系家族あるあるですよ。
センセは弟や妹たちと比べても、日本への関心&興味が強く、更に私という日本人と結婚したことで、日本知識や日本語力は爆上がりしたと私は感じて/願っているんですけどね~
大切なのは語学力よりコミュ力
そんなセンセの日本語力はというと、日常生活はなんとかなる+αってところでしょう。英語は「ハロー」「サンキュー」レベルの母とふたり、日本語で普通に楽しく会話ができるくらい。時には別室でウサギ耳となっている私が感心するほどです。後で聞いてみると意外と理解していなかった、なんてこともありますが、会話はコミュニケーションで、言っていることを一から十まで理解する必要なんてないことを、私はアメリカで散々実感済み。大事な言葉や大事なクダリを聞き分けるアンテナさえ作動していれば、時には分かったふり(fake) をしながらリズムを崩さずに流れに乗るほうがいいことが多々あるのです。つまり、聞き流していい部分と、聞き返してでも抑えておく部分の区別ができればいいのかなと思うのです。センセも多分、そのあたりがお上手とお見受けしますね。おそらくは、だからこそ、彼の日本語は相手に実際以上の印象を与えるのでしょう。
例えば、先日、センセの銀行口座を開設した時のこと。
これこれしかじかで口座を開設したいのですが、それは可能ですか?という入り口部分こそ私が担当しましたが、いざ席に着いて申込書に記入する段階では、ほぼ私の助けも必要なく、担当してくれたおねーさんとセンセのふたりで進んでいきました。外国人に優しいという定評がある銀行だったので、申請用紙も英語だし、おねーさんは外国人のお客さん慣れしているしで、私がガッツリと英語で説明する必要があったのは、利用を始めてから利用状況に応じてランク付けがされて、ランクによって受けられるサービスが異なる…みたいなちょっとややこしい部分のみでした。センセも日本語で「ココハナニヲカキマスカ?」程度の質問はしていましたが、まぁ、それ以上の質問をする必要もないくらい分かりやすい手続きでした。大きな問題もなく手続き終了かという場面になったとき、おねーさんがふと考えこみ、こんな提案をしてくれたのです。
「日本語が読めるから、こちらのキャンペーンにご応募いただけますね」
それを聞いた私は「ん?」となっていたのですが、「毎日外国人のお客さんが来ますけど、ここまで細かいことを理解してくれる人はなかなかいないんですよ」というセンセへのお褒めの言葉が続き、口座開設で1500円が戻って来るというキャンペーンにその場で応募しながら、実は何が起こっているのか全く理解していないセンセと、なんて日本語が上手なんだろう!と感心が止まないおねーさん。そのギャップに、内心ニヤニヤしていた私でした。
そして後日、送られてきたキャンペーンについてのメールを私に見せて「これはスパム?」と聞いてきたセンセなのでした。
外国人はカタカナがお上手?
そんな風に、つい「日本語を読める」という錯覚さえ相手に与えてしまうセンセの日本語コミュ力。一緒に暮らし始めてかれこれ3週間になる母もがこんな風に思っていたのです。
「センセさんはカタカナの方が読めるでしょう?」
お?これは聞き流せませぬ。
私は、センセが特にカタカナを苦手としているのを知っていますからね。まさか読めるようになったの?いやいや、それはないよね?
本人に聞いてみるとやっぱり「カタカナハムズカシイヨ」とのことでした。
では、なぜ母がそう思ったのかというと、カタカナ表記のものは外国からの借用語で、英語に由来することも多く、そのために少し分かれば推察(guess)しやすいということにつきるようです。
一方で、車好きのセンセと一緒に車屋さんの広告を眺めていたときのことですが「カーオブザイヤー受賞」に大苦労。「カー・オブ・ザ・イヤー」ならばまだ理解(推察)しやすいそうで、『なんでひとつになってるの?』とブツブツ言っておりました。
外国人にはカタカナで書けば分かってもらえる気がするかもしれませんが、それは、キ・ノ・セ・イ (笑)
外国人が話す日本語はなぜかカタカナで書きたくなるのも、実はちょっと不思議なのかも…
『ダーリンは外国人』ならではの楽しさ
最近ではスマホをかざせば希望する言語の翻訳が映し出される機能やアプリもあるようなので、センセが日本で暮らしていくことはなんとかなるだろうし、50を過ぎて外国語を勉強する気力も必要もないのが実際のところ。ただ、「読み&書き」と「話す」スキルのギャップが大きくて、悪気なく実力以上の日本語力を期待されることはあるのかもなぁなんて思うのが妻心。日本で暮らすにあたって、自分の名前と住所は書けるようにしておいてね!とお願いしたものの、実際に書いている姿は、字を覚えたての子供にしか見えませんからね。
あ、こんな風に書くと、「話す」ほうはかなりイケているという印象を与えてしまうかもしれませんね。それはそれで過度の期待をされてはかわいそうなので、センセの日本語をとーっても高評価してくれた銀行のおねーさんとのひとコマを紹介しておきましょう。
おねえさん:日本へはいつ来られたんですか?
聞かれた意味を確認したそうな顔を私に向けるセンセ
私:When did you arrive in Japan?
センセ:ラ、ライシュゥ
おねーさん: 。。。?
私:あ、セ、センシュウね、先週です。