舞台「恭しき娼婦」を観た感想

皆様
お久しぶりです。
仕事や現場でバタバタしており、noteに顔を出せていませんでした。ようやく色々と落ち着いたので、久しぶりにこの前観劇した舞台の感想をまとめたいと思います。

6月18日に奈緒さん・風間俊介さんなどが出演された「恭しき娼婦」という舞台を観劇しました。「恭しき娼婦」哲学者で劇作家でもあったジャン=ポール・サルトルが発表した作品です。


舞台はアメリカ南部。冤罪を被せられて逃走する黒人青年をかくまう娼婦リズィー。だが、その街の権力者の息子であるフレッドはリズィーに虚偽の証言をさせようと、その黒人青年と由緒ある家系の白人の男どちらを救うか選べと迫る。街全体で黒人が犯人と決めつける状況の中で、リズィーが下した決断は…。


公式HPからあらすじを引用しました。これが舞台の内容となっています。奈緒さんが娼婦のリズィー、風間さんが上院議員の息子であるフレッドを演じています。
本当に素晴らしい作品だったのですが、だからこそとても怖い作品でした。「恭しき娼婦」の感想を記事にしたいと思います。


①美術

舞台の床が斜めになっており、前は低く奥側は高くなるように設計されていました。狭い舞台を奥行きがあるように見せようとする工夫を感じました。この作品はリズィーの住んでいる部屋で物語が進行していきます。劇中ではよく晴れた朝の気持ちいい風がリズィーの部屋に入り込んで、カーテンを揺らしていました。朝になれば朝日が、夕方になれば夕日が彼女の部屋に入り込みます。しかしこの気持ちのよさそうな風も朝日や夕日もすべて人間の手で作っています。そうは思えないくらい本当に自然で人工的な感じがしませんでした。実際は照明をガンガンに焚いているので、すごく熱いらしいですが(笑)

②演技


出演者の皆さんの本当に演技が素晴らしく90分ほどの劇でしたが、本当に皆さんの濃密な演技でどんどん引きまれて、息ができなくなりそうでした。フレッドはいとこを救うためにリズィーに虚偽の証言をするように脅迫したり、金を渡すと言ったりしてあの手この手を使って迫りますが、彼女は断固拒否をします。しかし上院議員であるフレッドの父親の言葉によって、彼女は思わず嘘の証言をしてしまいます。フレッドの父親は嘘の証言をしてくれれば、フレッドのいとこの母親はリズィーに大変感謝して彼女を実の娘のように思うだろうと伝えます。リズィーは家族との縁が薄い女性だったため、その言葉に大変感激して噓の証言をします。その時の奈緒さんの表情が嬉しさを通り越して恍惚とした表情が印象的でした。しかしいとこの母親は感謝の言葉の1つもかけることはありませんでした。騙されたと知った時のリズィーの絶望と怒りが痛いほど伝わりました。奈緒さんが演じたリズィーという役は本当に難しい役だったと思います。リズィーは物語序盤では明るい女性だったのに、無実の黒人の青年をかくまったことがきっかけで怒りや悲しみ恐怖そして絶望を味わいます。ジェットコースターのように感情に振り回されるリズィーの役は本当にエネルギーが必要だと思います。しかし奈緒さんはリズィーという役をエネルギッシュに演じていて、奈緒さんのパワフルさに驚かされました。

私は結婚するなら風間俊介さんと結婚したいくらい好きなのですが、この舞台を観劇した後は風間さんのことが嫌いになりそうでした。フレッドは自分が由緒ある家の出身だということを鼻にかけ、黒人だけではなく一夜を共にしたリズィーに対しても差別的な態度を隠そうとしません。彼は黒人狩りにも参加して、木に吊るされた無関係の黒人を銃で撃ちます。どうしたらここまで黒人に対して憎むことができるのかと恐怖を感じました。そしてフレッドは娼婦のリズィーのことを「売女」や「豚」と罵りながらも、彼女に対して異常な執着を見せ、最終的には彼女を自分の愛人にします。彼は恐らくリズィーを本気で愛してしまったが、娼婦である彼女を愛しているということが許せず、彼女を愛人にすることで何とか彼女を近くに置きたいのだと思いました。フレッドのリズィーへの異常な愛情は気味悪く感じました。一方でフレッドは自分を語るときに自分の家はこんなにも大きくて召使が何人もいること、家族や親戚は有力者だということしか語りません。恐らくフレッドには名家の息子であり、お金持ちだということしか誇れるものがないのではないかと思いました。フレッドは差別主義者で冷酷な一面を持ちながらも、自分に自信のないとても哀れな人間にも思いました。

黒人青年は悪いことは全くしていないのに黒人だからという理由だけで、話を聞いてもらえず追い掛け回されています。青年はもし白人に捕まったらガソリンをかけられ、生きたまま焼かれるという酷い仕打ちを受ける羽目になります。何もしていないのに黒人という理由だけでこんな残虐な目に遭わされるということが本当に辛かったです。私の席は一番前の真ん中という一番いい席だったのですが、殺されるかもしれないという恐怖でブルブルと震えている青年の顔が見えて、どうかこの青年が白人狩りに見つかりませんようにと祈るような気持ちで観ていました。リズィーは黒人青年を自分の部屋にかくまいますが、黒人狩りの魔の手が二人に迫ります。見つかれば黒人青年だけではなく、彼をかくまっていたリズィーも殺されてしまいます。二人は白人たちに見つからないように、息をひそめて恐怖でお互いを強く抱きしめていました。もし二人が見つかってしまったらどんな目に遭わされるのだろうか、そう思うと私も同じように怖くなりました。

最後

「恭しき娼婦」はとても素晴らしい舞台でしたがとても怖い作品でもありました。今まで観劇した舞台の中で一番怖かったです。しかしそれほど私の心の中ですごく残った作品でもあると思います。

アメリカで1964年に公民権法が認められましたが、今でも黒人に対する差別は終わっていません。2020年には黒人男性のジョージ・フロイド氏が警察官に頸部を膝で強く圧迫されたせいで亡くなっています。黒人だけではなくアジア人もアジア人という理由だけで差別や事件に遭っています。私は差別は絶対にいけないことだと思っています。しかしもし自分がリズィーと同じような立場に置かれたらどうするかわかりません。もしかしたら甘い言葉や反対に脅迫をされたら、嘘の証言をしてしまうかもしれません。もしかしたらその場の空気に飲まれて、差別する側に立つかもしれません。ポスターには「座りなさいよ。私たちの罪の上に」というキャッチコピーがありました。この言葉は娼婦であるリズィーと一夜を共にしたことに罪悪感を抱くフレッドに、リズィーが彼をベッドの上に座ることを勧める時に言った台詞です。リズィーは無実の黒人青年を庇いますが、それは彼が可哀想だという同情心からではありません。彼女は噓をつきたくないから嘘の証言をしないだけなのです。むしろ彼女も黒人に対して嫌悪感を抱いており、黒人の青年に触れられたときは拒絶反応を示していました。キャッチコピーにもなったあの台詞は人間には誰しも差別する心があることを示しており、社会には差別という「罪」が大きく横たわっているのかもしれません。そして私たちはその罪の上に座っているということを示唆しているのかもしれません。


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