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『ボヘミアン・ラプソディ』ってどうしてあんなに感動するんだろう?
私はQUEENの映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大好きだ。映画館で2回、WOWOWで1回観て計3回観たけど毎回号泣している。「何でこんなに私の胸を打つんだろう?」とずっと考えていた。その答えは『ボヘミアン・ラプソディ』はフレディから苦しみを解放する物語だということじゃないだろうか。公開から2年経って考察文書くなよと言われそうだけど私は書くよ。
フレディ・マーキュリーは映画の中で悩みがあり苦しんでいる。しかしストーリーが進むにつれてその苦しみから解放されていく。私はそこに感動しているんだと思う。そもそもフレディにかかっている悩みとはなんなのか。それは以下に紹介する。
出生の呪い
フレディはザンジバルで家族と暮らしていたが、ザンジバル革命が起きて家族とイングランドに移住する。フレディは映画の中で何度も「パキ野郎」という言葉で罵られている。人種差別をモロに食らっている。しかしライブ・エイドの時には色んな人種がQUEENの曲を聞いて、肩を組んで大声で歌っている。あの瞬間だけは人種という壁が消えたのだ。
余談だけどフレディが元パートナーのメアリーにあそこまで気にかけていたのは、メアリーがフレディに「エキゾチック」な顔立ちだと初めて褒めてくれて嬉しかったからじゃないかと思ってる。他のイギリス人とは異なった顔立ちをしていたフレディは自身の出生も、出生の影響をモロに受ける自身の顔立ちも嫌いだったのではないか。実際にフレディは自分のルーツを語るのを嫌がったらしい。ロックのイメージに合わないからという意味があったらしいけど、人種差別された過去の影響もあったんじゃないか。
セクシュアリティの呪い
QUEENは新しく販売するアルバムの記者会見をするが、それよりも記者たちはフレディのセクシュアリティをどうにか聞き出そうとするのに躍起になる場面がある。この時代に同性愛者として生きていくのは本当に辛い時代だったことが分かる場面だ。しかしフレディはジムという最愛の男性と出会う。フレディはジムに家族に合わせてジムの手を取って「僕の大切な友人だ」と伝える。家族はただならない2人の雰囲気に友人以上の関係に気づいたはずだ。だけどそれを非難することをしなかった。ただ家族は笑顔で頷いただけだった。
父親との確執
フレディは母親と妹とは仲が良かったけど、堅物の父親とは折り合いが悪かった。フレディは若い頃から音楽に傾倒していくが、父親はそんなフレディを認めることが出来ない。父親はゾロアスター教の教えである「善き思い、善き言葉、善き行いをしろ」とフレディに言うが、その言葉にフレディは「それでいいことあった?」と反発する。ゾロアスター教は同性愛を認めていない。フレディはゾロアスター教を厚く信仰する父親から受け入れられていないという悲しみと怒りがあったのかもしれない。
フレディ役を演じたラミ・マレックの両親はエジプトの出身で、アメリカに移住したらしい。両親は移住で大変な思いをしたからラミに堅い仕事に就いて欲しかったらしい。もしかしたらフレディの父親もそんな気持ちだったのかもしれない。
フレディはジムを連れて実家に帰った際に、チャリティーコンサートのライブエイドに出演することを父親に伝える。「善き思い、善き言葉、善き行い」を実践するために。それを聞いた父親はフレディのことを抱きしめる。長かったフレディと父親の確執が終わったのだ。フレディの死後、フレディの家族が信仰していたゾロアスター教の教えに従って火葬された。フレディは家族に全てを受け入れられた上で天国に向かったのだ。
最後に
フレディを苦しめる3つの苦しみはエンディングに向かうにつれて消えていく。観客は長い間苦しんできたフレディをずっと観ているので、苦しみから解放されていく姿にすごく感動したんじゃないだろうか?(もしかしたら私だけかもしれないけど)
最後に私が気になったことだけ
フレディのお母さんからお菓子を勧められてお菓子を手に取るジムだけど、そのまま戻したら駄目じゃない?
袋に入ってるお菓子ならいいかもしれないけど、そのまま触ったよね?
衛生的に駄目じゃない?
あとフレディの妹のカシミラ垢抜けすぎじゃない?
元々可愛かったけど最後めちゃくちゃ垢抜けててびっくりしたよ