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素直でない

(平成三年五月)

 柳家小三治という噺家がいる。つい最近、 彼がクラシックの愛好家であることを知った。FM放送で聞いたのであるが、そのときにかかった「チコタン」という子供のための合唱曲を聞いて不覚にも涙してしまった。
 東京の落語家である彼は、どうも大阪弁はきらいだと言っていたが、この「チコタン」 は大阪弁の歌である。そして、これは大阪弁の勝利であるとも言っていた。

 小学生の男の子が「チコタン」という愛称の女の子にほのかな思いを寄せているがどうもあちらは問題にしていないようである。勉強はできるし可愛いし、だれにも好かれる「チコタン」の気をなんとか自分のほうに引きたいが、あいにく劣等生らしい彼は望みうすである。ある日、彼は重大な情報を手に入れる。チコタンはお魚が好きだというのである。それならば大きくなって魚屋さんになればチコタンをお嫁さんに迎えて、毎日彼女の好きなお魚を食べさせてあげられる。魚屋になることを固く決意して、そのために一生懸命勉強することを誓った。しかし、その矢先チコタンは交通事故に遭って死んでしまう。生き甲斐にしていたチコタンが突然いなくなってしまって、彼は悲痛に叫ぶ。 「誰や、チコタンを殺したのは! 返せ!チコタンを返せ!」

 この曲はホウライ・タイゾウという人の書いた曲で、このように文字にしてしまうとあまり涙を誘うようなものには思えなくなってしまうが、大阪弁のイントネーションをそのまま活かした曲と共に聞いていると心打つものがある。

 ずっと前に「徹子の部屋」に出演していた小三治は彼の母親について話していて、どうもただ単に仲が悪いというような生やさしいものではなく、心底憎み合っていたのではないかと思われるような話しぶりであった。母親が彼にたいして持っていたのは子に与る愛情ではなく、そりの合わない人にもつ冷たい批判の目であったらしいが、彼も同じに、というか互角の勝負という感じで母親にたいしていたようである。したがって、世間で最もふつうのタイプとはかけ離れた親子関係が彼を真打ちの噺家に育てたということになるらしいが、わたしを含めて試聴者の多くは、母親はその彼の性格を十分に知った上で彼に辛くあたり、彼の反発力がマイナスには働かないことを見越していたのではないかと想像した。二度目に同じ番組に出た彼はやはりわたしの想像どおり、たくさんの試聴者の人から「 わたしもあなたのお母さんのような母親になりたい」という手紙や電話を受け取ったと言 っていた。彼にはそれはたいへん心外だったらしく、とんでもないことだと否定した。その言の裏には、これはあくまでもわたしの推量ではあるが、彼が母親を憎む気持ち、 母親が彼を憎む気持ちは本物であって、その中から彼がめげずに一流の噺家になったのには、彼独自の自立心があったからで、母親のパラドクス的な愛情のおかげでは決してないということを誇示したのではないかと思う。しかし、実の親子である以上は、もともと持って生まれた自立心や才能というものは親から受け継いでいるはずであるし、たとえ後天的に育ったものであるとしてもその芽になるものは内在していたはずである。
 大阪弁がきらいだと言いながら、全国放送になる電波の上に大阪弁の歌を乗せてひとに涙を誘うような気持ちにさせる彼は、非常に素直ではない一面をもっていて、しかもそれを隠すでなく、むしろわざとさらけ出すことによって自虐的な心のバランスを保っているのではないかと、思い出した「徹子の部屋」での話と共に改めて考えたものである。
 たとえ彼の母親が心を鬼にして彼に故意に冷たくあたって、息子の大成を信じる深い「読み」があったにしても、そうでなくても、人は結果からさかのぼって物事を判断してしまうらしいことが自戒にもつながってくる。
 「終わり良ければすべて良し」というような単純な論理は、人類が連綿と続いて行く歴史の中では通用しないものである。そうかと言って投げやりになるのはさらに悪い。

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