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いろはかるた

(平成三年七月)

犬も歩けば 棒にあたる
論より 証拠
花より だんご
憎まれ子 世に憚る
骨折り損の くたびれ儲け
屍をひって 尻つぼめ
年寄りの 冷や水
塵もつもれば 山となる
律義者の 子だくさん
盗人の昼寝
瑠璃も 玻璃も 磨けば光る
老いては 子に従え
割れ鍋に 閉じ蓋
勝って兜の緒を締めよ
葦の髄から 天のぞく
旅は道連れ 世は情け
良薬 口に苦し
総領の甚ろく
月夜に 釜抜く
念には 念を入れよ
泣きっ面に 蜂
楽あれば 苦あり
無理が通れば 道理引っ込む
嘘から出た まこと
芋の煮えたの 御存知ない
喉もと過ぎれば 熱さ忘れる
鬼に金棒
臭いものには 蓋をせよ
安物買いの 銭失い
負けるが 勝ち
芸は 身を助ける
文はやりたし 書く手は持たず
子は 三界の 首かせ
得手に 帆あげる
亭主の好きな 赤烏帽子
頭隠して 尻隠さず
三べん回って 煙草にしよう
聞いて極楽 見て地獄
油断大敵
目の上の たんこぶ
身から 出た錆
知らぬが 仏
縁は異なもの 味なもの
貧乏ひまなし
門前の 小僧習わぬ 経を読む
背に腹は 変えられぬ
粋が 身を食う

 これをすべて思い出すのに一時間以上かかった。子供のころにうちにあったいろはかるたの全部である。紙は粗末であったが、ちゃんと色のついたプリントであった。絵は決してうまいとは言えないもので、線に自信がなく平べったい感じのするものであった。かるたの右上に赤い丸があり、その中に読み札の頭の文字がかなで書かれていた。よく覚えているのは「律義の…」の絵札には、男が額に汗して荷車を引き、その荷車の上には数人の小さい子供たちが乗っているというのや、「油断大敵」の炎の中で着ている着物の乱れた女の悲壮な顔つき。 「無理が通れば…」はふたりの男が座っている。そのひとりがこわい顔をして何か談判していて、もうひとりはうつむいて小さくなっている。「嘘から出た…」は狼に追いかけられている男の子、「知らぬが仏」はお地蔵さんの頭に鳥の止まっているところ、「葦の髄から…」は、このかるたに出てくる男の子がなべて気の弱そうなのばかりという中でもひときわ意志薄弱そうなのが、へっぴり腰で目に細長い棒のようなものをあてて上向きに顔をあげているというものである。これらの中で唯一気の強そうな男の子は「憎まれ子…」のきかん気が棒をもっている一枚だけて、「屁をひって…」の男の子は片手を口のあたりにもっていっていて、その座り方はおばあちゃん座りである。
 いずれも昭和のものらしく、迫力に欠けるものの、印象的なことはほかのものを凌ぐという、今のわたしの年にならないと理解しがたいような一種の懐古趣味に満たされている。着ているものも、使われている道具もその時代のものに違いないが、そのかたが作られたのはさらに一時ことのようであった。
 今になればたいていの意味がわかるようになったが、そのかるたであそんだのはひらがなを覚えたばかりのころであるので意味など知る由もない。ただ読み札と絵札を機械的に関連づけて覚えただけのことである。寓話的な意味のあることばの絵を描くのはさぞぞ困ったであろうと思うが、描き手は文字通りに単純に描いたらしい。そのために間抜けなものになっているものもあるが、いまだに意味のわからないのが「月夜に釜抜く」という一枚である。 この絵には月の出ている下のほうに、むかしの半球になっている釜が描かれていたが、どんな意味があるのかさっぱりわからない。
 思い出すのに意外に時間がかかったのは、どれも常に口にすることばであるのにいろはの順という制約がついたからと、ほとんどは度忘れという年齢の産物である。



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