嘘つき
(平成三年十月)
わたしは直接会ったことがないが、母の話にたびたびYさんの名が登場したのは二、三年前で、あるきっかけ以来ふっつりと出てこ なくなった。そのあるきっかけというのはYさんが母に語って聞かせたのがすべて嘘であったということがYさんの妹という人をとおしてわかったからである。
母の話によると、Yさんはよく訪ねて来ては身の上がいかにこれまで苦労続きであったかを切々と語り、溢れる涙を傍らにあった台ぶきんで拭うことをもいとわなかったというのである。詳しい作り話は、その一部始終を母から聞いたこともあるが、所詮は他人事とわたしはあまり興味をもっては聞かなかった。
なんでもいいおうちのお嬢さんで、母親にこうしなさい、ああしなさいと行動の一切を取りしきられ、その母親の決めた女学校へかよっているある日、突然「あんたはもう学校はやめて〇〇へお嫁にお行き」と言いつけられて結婚したというのである。嫁いだ先が農家で、それまでおはしより重いものをもったことのないお嬢さんが牛や馬の糞を始末しなくてはならなくなったのである。あまりの辛さに何度も死のうと決行直前までいってもやはり死ねなかった。とうとうそこを逃げ出し呉服屋さんで働いているうちにそこの主人に見そめられて再婚したということである。
女の子をもうけ、その娘は青森に嫁ぎ、現在塾を開いてふたりの子供がいるというのであるが、この娘のことに関してはほんとうらしかった。
「千みつ」ということばがある。千話すことのうち真実はたったの三つであるという例えであるが、Yさんは千みつとまで言わなくも母に話したいくつかのことのほとんどは作り話でその中にはごくまれにほんとうのことも含まれていたのである。
Yさんにはお人よしの母ならばこのくらいの脚色ですっかり自分を信じて、たらいまわしされている身の上を当分めんどう見てくれるだろうというもくろみがあった。そんなこととは知らずに母はYさんに「いつでも自分のうちだと思っておいで」と親切に言った。
もともと謡曲で知り合った人であるが、Yさんは短歌もよくしそういう点でも母と好みが合った。母は自分と教養の程度が似通っている彼女を最大の友と信用していたというわけである。年は母よりはやや若く、見た目には年より十才くらいに若く映る派手な感じの人である。これは写真からの観察である。
嘘はひとつつくとその次の話につじつまを合せる都合上さらにもう少しの嘘を必要とする。〇・ヘンリーの短編集にはこれに属する話がある。しかしYさんの場合には小説の材になるほどのロマンティシズムというよりはむしろ一種の病的な嘘で、自分が嘘を故意についていることさえわからなくなっ た病人ではないかと思う。人に話しているうちにそれはすべて実際に自分の身に起こった ことであるという錯覚を起こしてしまう症例である。クレペリンの分類によれば「連想によるにせ記憶」といのに入るものであろうか。それでも他人に迷惑がかからなければ他愛のないことですまされるが、Yさんは母をだまして一ヶ月あまりを奈良の母の家で過ごし、母に三度の食事のことで頭を痛めさせている。母が告訴すればYさんは詐欺罪で多少の刑を受けるべきであるが、母はだまされた自分がアホやったと諦めている。食事の世話だけでなく、母は億という単位の現金を見たこともないのに、自分の腰に厳重に巻きつけて出かけるYさんの姿を見てはオロオロし、その彼女が帰ってきたといっては強盗に狙われやしないかとヒヤヒヤして夜も眠れない。母がYさんを断じて許せないのは、そういう思いをしてまで彼女によくしてあげたのに人の好意を逆手にとったということが判明したからである。つまり母は自分が甘く見られるほどの人間だということを認めたくないというわけである。
「お母ちゃん、ええやないの。だますほうやのうてだまされたんやったら」と言って母を慰めた。