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近眼のメリット

 右0.1、左0.2といえばこれはもう立派な近眼で、別に自慢するわけではないが、その視力でもわたしは普段はめがねをかけない。これには小さいころから母に「めがねをかけると、女は値打ちが下がる」と一種の呪文のように言われ続けた、という歴史があるが、めがねのメーカーにはあまり大きな声でいえることではない。もっとも、今はコンタクトレンズなるいとも便利な、しかしなくすと探すのにひどく骨の折れるものがあって、まったく値打ちを下げることなく視力を補うことができる。わたしが最も視力を要した学校時代にはまだこのコンタクトレンズはなく、たとえあってもめがねすら買えないほどの経済状態では、とても手でるようなものではなかったろう。
 わたしの近視化の始まりは、もともと本を隠れて、暗いところで読みまくったことにあって、小学校の高学年からそのきざしがあったようだ。 児童文学書ももちろん読んだが、隠れて読んだのはそのころ両親が読んでいた小説倶楽部とか、読切小説という低俗な雑誌で、低俗だという判断がまだできないうちにわたしの目に触れる条件が整っていて、誰もが抱く興味津々たる問題にたいしては、まったくさきがけとなってその回答者たり得た、と思う。しかし、そのような物を白日のもとで読めるほどの心臓のもちあわせはなかったので、暗い場所、すなわち二段になっている押入れの下を自分の勉強のためのスペースとして確保したその場所や、また髪の毛が今読んでいるページを隠してくれていると思いこみつつ寝っころがって、というような悪い状態が徐々にわたしの目を損なっていったといえる。
 中学になったころはもうすっかり視力が落ちていて、一番うしろの席で何でもないようなふりをしてかけていたが、その実、黒板に書かれた字はまったく見えず、板書で授業を進めていく先生の時間は、わたしには憂鬱そのもので、かといって目を耳で補おうとするほどの努力家でもなかった。
 本を読むことが、それほどわたしの力を落としているとは気もつかず、本を通して四、五人分くらいの人生をすでに終わり、なんだ、こんなものかとすべてにがっかりするころには、 わたしの目は「心の通気孔」ほどにまで落ちぶれてしまった。
 目が悪いとさまざまな困ることが生じてくる。しかし、どれも致命的というほどでもないと気がついたときには、ある意味でのひらきなおりができて、通気孔からあかりとりくらいまでは地位が引き上げられた。 父に「命にかかわらない限りはあわてるな」と教えられたことも大きな要因になっている。見えなければ、そばにいる人に教えてもらえばいい、耳やカンを養えばいい。要するに目の足りない分はほかの機能で十分補えるのだ、という自信をもつことが大切である。
 わたしの場合、幸か不幸か「めがね」という道具をずっと使わなかったために、つまりその便利さを知ることがなかったために、ずいぶんトクをしたともいえる。人間は、たった一度でも楽してしまうとそれを享受することが当然のように錯覚してしまい、もともと持っている活用できる力の存在さえ忘れて、否むしろ認識することすら知らずに過ごしてしまう。
 めがねがないおかげでわたしは、まず人の全体のかたちを覚え、歩くときの癖や、少々距離のある場所からでも声や話し方で、常に自分の身のまわりにいる人を見誤ることはなく、授業も目に頼らない分だけ耳を生かし、集中して聞くを心がけた。ほかのひとに「わたしは目が悪いの」とできるだけ宣伝しておいて、暗黙のうちに協力を求め、誰かいい目のかわりをしてくれる人と仲よくしてごく無理なく眼鏡代を浮かした、ということになる。
 視力の落ち始めるときに、遠くのものを見きわめようと目を細くしてひたいにしわを寄せるのはよく見かけることであるが、はたで見ていてあまりみっともいいとはいえないので、やめる方がいい。試しに誰かほかの人がそうしているのを見てみるといい。
 ごく近くまで来ないと顔の判別ができない、とはおおかたの近視の人の悩みであるが、すましてたとか、失礼なヤツだとかいわれないですむ最良の方法として、わたしは外を歩くときにはいつも笑顔でいることにしている。歯を見せない笑顔、まさにモナ・リザのようなほほえみ、(ぜーんぜん程遠いのは百も承知) 口元を常にぱっと笑顔に切り変えられる用意を整えておく。こうしておくと、近くまで来て初めて誰々さんだ、とわかった時にも表情に無理がなく、にっこりできる。 にやにやしているのとはまったく違う、どち らかといえば人を威圧できるほどのほほえみは、わたしの理想とするところだが、修行次第でマスターできるはずだと確信している。不思議にこの「いつでもにっこりに準備態勢 OK」アーケイックスマイルは、対人用ばかりでなく、生活のすべての面でわたしに自信をつけてくれて、目は悪くとも胸をはってまっすぐ前を見て歩けば、何が急に起きても何も恐れる必要はない、と思わせてくれるのでありがたい。
 あまりにひどい近視は何らかの方法で矯正しなければ、日常生活にさしつかえるが、そうでもなければ、わたしの対応のしかたはラクチンで、しかももちあわせている潜在能力を引き出すことができて一石二鳥であると思う。そしてもうひとつ、おおきな特典がある。 わたしくらいの年齢になるとまず目から老化が始まって来るのが正常視の人の一般的な兆候であるが、何十年と近視とつきあってきたおかげで、まだ老眼鏡のお世話にならない。文庫本の細かい字も目から不自然に遠ざけなくとも読めるし、新聞も、いちいちめがねは、などと煩わしい思いをしなくても気軽に手にする。
 お店のヒマな時間はたいてい本をよんでいるが、同年代のHさんに「いや、羨ましいねえ、そんなこまかい字が何もなしで読めるなんて…」といわれて、近眼でよかったなどと感謝してしまうのである。
 わたしがこどものころは、関西では「近視」より「チカメ」といわれた。重度の近視は、「ドチカメ」または「ドッチカメ」とバカにされたものである。それで傷つくほどナイー ブではなかったし、楽天家のわたしはなりゆ きまかせで今日まで来てしまった。それでも目のいい人と大差なく、ちゃんと生きているからそれでいいじゃない、というと負け惜しみを言っている、 とうけとる人の顔にはきっとモナ・リザさんは来てくれないからごらんなさい。
 果たして目が心の窓まで成長したかどうかは自分ではわからないが、せいぜいインチキ出窓くらいかしらん。

(平成元年三月)


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