イーロンマスクや、中山七里さんのように激務ができたら
そう考えている時点で甘いとか、才能がないだとか言われそうだけれど、どうやったら激務に対応出来るようになるか?
と考えることは凡人にとって重要な気がする。
『努力出来る才能』というのがあるとしても、その才能がなくても似たようなことができるようになれば、それで十分だし、再現性もあるということになるだろう。
でもよくよくかんがえてみると、激務という抽象的な概念に対して、それができたら上手くいきそうな気がしていること自体が問題なのかも。
ただひたすらに、愚直に書く。
そのための手法や環境を使ったり作ったりすることがより重要なのかもしれない。
小説が目指すと言って三週間がすでに過ぎている。
まだこんな事を言っているようではダメなのかもしれない。
こんなダメな奴でも小説家になれるの証明したい。