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命と引き換えに届けたい

だきしめたい だきしめたい 
だきしめて あむあむしたい
夢が叶うなら 命も惜しくないわ〜

から始まる銀杏boyzの「骨」を聴きながら、夜の高円寺の商店街をイヤホンして歩く。

峯田さんは東京に来て、auのコンテンツで峯田和伸ランドおとこ道 と言うWebラジオに呼んでいただきお話する機会があり、そこから繋がりに繋がって今の仕事に行きついている事は、峯田さんは知るよしもないし、たまにお会いする機会があっても話したことはない。
1番は周りのスタッフさんや監督さんが僕を見つけてくれたからに違いないけど、きっかけも忘れないものである。

僕は去年末 ラクナ梗塞という脳梗塞の一種で入院した。
その前にも重大な事があり、正直、もうダメだ死ぬかも知れないと思い、悔しくて何度も泣いた。
いい歳こいた おっさんがさ何言ってんだか。
でも入院患者じゃダントツ若い方だった。
それは若くして不摂生が祟った結果なのか、先天的なものなのかはともかく、なってしまったものは戦わなくてはならない。

冒頭に話をした銀杏boyzの骨。
この曲のMVの商店街は僕が毎日と行ってもいい程10数年通い慣れた道であり、MVにイノマーさん(僕が入院中に亡くなってしまった)も写っている。
最後にイノマーさんとお話をきちんとしたのは、とある忘年会にて。

僕はストリートロックファイルと言うイノマーさんが発刊していたCD付きの雑誌で様々なバンドを知り、真似事をして若い頃はコンピを作り、そして全国に友達や、好きな人達が出来た。

そうゆう道を作ってくれたのも、作り手のイノマーさんがいたからだし、当時活動していた様々なバンドがいたからだった。

「おいら そんなんたまに言われるけど 実感ないんだよな〜」

そりゃそーですよ。こっちが勝手に感謝してるだけですもの。ほら、歌出したら、この曲聴いて人生変わりました!ってファンみたいなもんですよ笑

なんて話してたと思う。

そんなイノマーさん 癌で当病していてロフトでアルバム発売ライブの時は呂律は回りづらくて歌いにくそうだったけど元気なイノマーさんだった。
最後の豊洲PIT行けなかったのが悔やまれるが映像でみた。
限界を越えたライブだと思った。人間の魂が燃えてるのがヒシヒシと伝わってきた。
見てられなかった けど見た。
めちゃくちゃカッコかったよ。

沢山支えてくれる仲間もいた。
僕は改めて、イノマーさんがお亡くなりになったよる、病院から景色を見ながらイヤホンに耳を傾け、「ソーシキ」と言う曲を聴いて、追悼していた。


-オイラのソーシキはパンクロックでお別れしましょう-

イノマーさん出来たかな。
ふらふらと下北屋根裏に現れたイノマーさんの残像が下北いけば見えるし、高円寺もあの角で喋っている残像が残っている。

男の人生かけた本気をみて僕は、まだ死んじゃダメだと思った。

ある日 とあるバンドの武道館公演、監督でありスタッフの尊敬してる人が言った。

私はこの武道館成功したら もう仕事やめてもいいし 死んでもいいとすら思ってる。
そうゆう想いでやってる。

ずっと心の中に響いている。
自分も そうやって人を愛して仕事をしてゆきたいし 愛をもらえる仕事をしてゆきたい。

まだまだ一方通行な事も多いし、うまく伝わってないかなって思えることが沢山ある自分だけど、いつか周りのみんなに伝わって、そうゆう仕事出来たらいいなと思ってる。

僕はMVやCMに人を送り込む仕事。

たかが、そんだけの事でも1人違えば出来上がるものは違うし、ここ こうしたらどうですか?の一言で変わる世界がある事も知って欲しいし、そこに携わる人にはキチンとした想い込めた人がいることも皆にもアーティストにも知ってほしい。

はい。できたー。な作品じゃなく、是非見てくださいって作品。

自分はこれからも どんな仕事にも 鬱陶しくも本気で向き合っていきますので、何卒宜しくお願いします。

もう病気は こりごりだ!(30kg痩せました)