マチブラ×美術研究会 札幌市再開発と美術の関連性 第1部「安田侃作品特集編」
アルキタさんでいつも見てくれている人はお久しぶりです。noteから見始めたという人は初めまして。北海学園大学マチブラ部です。
今回は新幹線延伸に伴う再開発によって無くなってしまう建物や新たに建物が建設されることによって景観が変わってしまう前に、街の移り変わりのきっかけと関連性の高い美術作品を巡る形で、その場所の歴史やその作品が見守ってきたものに思いを馳せながら、そこの風景を楽しむマチブラをしてきました。
そして、今回のマチブラは初のコラボ企画となります!
北海学園大学美術研究会さんと一緒に「札幌市と芸術、街の移り変わりとアートの関連性」というテーマでお送り致します。
作品の背景や街の移り変わりなどについてはマチブラ部4年の福原が担当し、作品の紹介や講評・考察などは美術研究会3年の鈴木が担当します。(以下、マチブラ:「街」、美研:「美」、の表記で書いていきます)
いつもより長文になってしまうかもしれませんが、最後まで読んでくださると嬉しいです。
表紙イラスト:はちどり先生(https://twitter.com/beebird0321?s=11&t=3HciN-Z0tE1Z9e_jTpWFEw)
妙夢
まずは、札幌駅の待ち合わせスポットとしての利用数No.1と言っても過言ではない、「妙夢」から見ていきましょう。
街:西口の扉への道を「通せんぼ」するように設置されているこの妙夢は、2003年(平成15年)のJRタワー開業に合わせて、大丸、札幌駅、JRタワーの3つのビルをアート作品で飾ろうという趣旨で発足した『JRタワーアートプロジェクト』の一環として設置されました。
今現在、3つのビルに設置されている総作品数は50作品以上にもなりますが、最初に設置された作品数は今現在より約半分の28点であり、妙夢はその中のひとつです。つまり、妙夢は今の札幌駅を見守ってきた作品たちの中では一番の古株ということになります。
札幌駅での待ち合わせの際にいつも妙夢を見ていますが、現代的なデザインと経年劣化を感じさせない大理石から、設置されてから20年以上もの歳月を経ている古株とは思えませんでした。
また、古株とは思えない20歳の肌に実際に触れてみると、冷蔵庫に入れたばかりの缶ジュースのようなひんやりさ加減が伝わりましたが、2,3分すると私の手のひらの温度と触れている部分が同じになり、生きているのかとも思いました。
さらに、ドアをノックするように中指の第二関節で叩いてみると、金属製の器がぶつかった時のような「コーン」という音が鳴りました。
札幌駅を飾るため、2003年に札幌へやってきたイタリア出身の彼はこの20年間何を思い、何を感じながら行き交う人々や変わりゆくテナント、そして新幹線延伸によって変容していく札幌駅を見守っているのか、思いを馳せながら大理石の声なき声を聞いてみるのもいいかもしれませんね。
それでは、美術研究会さんにバトンタッチします。
美:広い札幌駅の中で多くの人が足を止め、集まる場所のひとつが、南口に設置された『妙夢』です。これは美唄市出身の彫刻家、安田侃さんによる作品です。
安田さんはイタリアで美術を学んだのち、現地にアトリエを構え、大理石とブロンズを使った彫刻作品を作り続けています。安田さんの作品の特徴は、飾らずシンプルでアブストラクトな造形と、どんな空間にも調和し得るという点にあるように思います。
『妙夢』は白い大理石でできており、四角形の角を丸く削り取ったような形と、真ん中に空いた大きな穴が印象的です。「夢とも現実ともつかない感覚を抽象的に表現」というのがコンセプトのようですが、皆さんはこの作品を見てどう感じるでしょうか。
ここでいう「夢」とは、寝ているときに見る夢を指すのか、希望や願望といった夢を指すのか、それともファンタジー的な幻想のことなのか、様々な解釈を考えられるのが抽象作品の面白いところだと私は思います。
そして、妙夢がもたらす「夢とも現実ともつかない感覚」とは何か、考えてみました。
妙夢が夢と現実との壁となり、我々の意識は穴を通って双方を行き来する。そのうちに境界が曖昧となり、気づけばぼんやりと、ふわりふわりとした幻想、二度寝のような多幸感に包まれる・・・といったイメージをしました。
いろんな人の考えやイメージを聞いてみたいですね。
さて、待ち合わせ場所として選ばれがちな『妙夢』ですが、なぜあんなにも人が集まるのでしょうか。
まず、縦2.6メートル横4メートルという大きさと見た目の分かりやすさは理由として挙げられるでしょう。しかし、それだけが理由ではないと思います。
あれほど大きなものが、入り口すぐの多くの人が行き交う動線上にあるにもかかわらず、圧迫感や異物感はなく、まるで建物の一部のように馴染んでいます。そして曲線的で白くすべすべとした質感は、つい手を伸ばして触ってみたくなってしまいます。台座がないので実際に近くまで寄って触ることもできますし、穴の部分に腰を下ろしている人もよく見かけます。
このような受け入れやすさ、親しみやすさが、人々を惹きつけるのでしょう。札幌駅で待ち合わせの際にはみなさんもぜひ、妙夢を見て、考えて、触れてみてはいかがでしょうか。
【マチブラメモ】「妙夢」は札幌駅だけでなく、東京の六本木やイタリアのフィレンツェなどにも設置されています。しかし、それらは札幌駅の妙夢とは色も柄も違うため、札幌駅の妙無は完全な一点物でしょう。
また、知事公館の中には「ミニ妙夢」がありました。穴の大きさや大理石の柄は違いますが、安田侃さんのアトリエである「アルテピアッツァ美唄」でも見ることができます。
生棒、天秘、生誕
お次は創成川公園にある安田侃さんの3作品です。
創成川公園について
街:「創成川公園?どこだ?」と思った方もいるでしょうからご紹介します。
創成川の横にある遊歩道みたいなやつ、それが創成川公園です。創成川公園は、創成川通のアンダーパス化にあたってできた地上部を整備するため、2011年(平成23年)に作られました。創成川は都心の中で貴重な水辺であるだけでなく、歴史的にも重要な存在です。その歴史的価値を残しながら、豊かな緑に囲まれた人々の行き交う空間としてこの公園はデザインされました。
そして、「そんな所にあの妙夢と同じ作者の作品なんてあったっけ?」と思う方もいるでしょう。テレビ塔の近く、二条市場の近く、狸小路1丁目の近くを通ったときに必ず見ているはずです。
最初の一作目は
「生棒」
という名前の作品から。
テレビ塔から創成川の方へ行く横断歩道を歩く際や創成川公園を散策した際などに、この作品を見たという方はいるのではないでしょうか?
この作品は、創成川公園が完成した2011年(平成23年)から設置されており、ここらへんを通る人を12年間見守ってきました。先ほどの妙夢と同様に、遊歩道の真ん中を「通せんぼ」するように設置されていますね。
この作品を見たとき、外側の枠と真ん中の棒はそれぞれ別で作られ、後にくっつけられて作品になったと思いましたが、近くで見て、触って見ると、なんとひとつの大理石から作られた作品でした。
実際に触って確かめたとき、私は作品の精巧さに度肝を抜かれてしまい、安田侃さんが世界に認められる所以がわかった気がしました。
さらに、安田侃さんは自身の作品については見るだけでなく、触れて楽しむこともポリシーにしており、私は見事に安田侃さんの術中にはまってしまったのかもしれません。
また、知事公館のミニ妙夢と同じく、ミニ生棒が高齢者向け住宅アーバンサークルという場所にあるそうです。真ん中の棒が杖に見えることから、まさに「生棒」としての役割を果たしているようですね。
それでは、美術研究会さんにバトンタッチします。
美:『生棒』は南1条創成橋からすぐの西岸にあります。北西にはテレビ塔があり、人の往来も多い場所です。
この作品は、四角い枠の中に一本の棒のようなものが寄りかかっているという見た目をしています。棒のようなものは斜めになっていますが、枠のどっしり感のおかげか、倒れそうと不安になることはありません。
この作品は「人生を支える杖」を表現して作られたようです。人と人、経験や環境など、人生のなかで多くの支えを受けて生きていく、そんな人間らしさを感じますね。
第二作目は
「天秘」
という作品です。
美:『生棒』の場所から南に少し進むと、創成川の東西に対になるように『天秘』が置かれています。
北側にあるものは少し厚みがあり、豆のような形をしていますが、南側にあるものは薄く平らでぺたんとしています。
この作品は「地上から天に向かって湧き出る力と、天から地上に降りてくる力」が表現されています。公園を挟むように置かれた『天秘』によって生命力やエネルギーが循環し、ここを通る人々や自然を元気にしてくれそうな作品ですね。
それでは、マチブラ部さんへバトンタッチします。
街:二条市場へ行く道中や大通バスターミナルを利用した際など、創成橋付近を通った時にこの作品を見たことがあるのではないでしょうか?
この作品も『生棒』と同様、2011年(平成23年)に設置されました。つまり、『天秘』は双子ということになります。
北海道根室市が舞台となる『ゴジラ2000』(2000年公開)で登場する「UFOミレニアン」を彷彿とさせる外観は、神秘的でなんだか吸い込まれそうですね。
どちらの作品も休んでくれと言わんばかりの窪みがあり、座って休んだり、寝っ転がったりしている人がしばしばいましたが、砂埃が多少ついていたため、潔癖症寄りな私は座りませんでした。
しかし、安田侃さんのポリシーを反故にするのは失礼かと思ったため、両手を窪みの上に乗せてみました。すると、日に当たっている『天秘A』の方は暖かく、ストーブに冷えた手を近づけた時のような感触が指先から伝わり、日陰の『天秘B』の方からは、手の体温が作品に吸い取られていくようなひんやりとした感触が手のひら全体に伝わりました。
その後、11月中旬の創成川で手を洗いました。とてもしばれました。
また、創成川を挟んで対になっているところが、まるで、厚別区と白石区の境界線である厚別川の両岸にある織り姫と彦星のモニュメントに似ていると白石区民の私は個人的に思いました。
最後の三作品目は
「生誕」
という作品です。
美:『天秘』のさらに南には、『生誕』があります。
横に長い四角形の枠に1匹のオタマジャクシが泳いでいるような見た目が印象的です。
この作品は「生まれたばかりの新芽」を表現しているそうです。
種という殻を破り、生き生きと伸びていく芽は、これからの人生や街の発展に希望を与えてくれます。
『生誕』が置かれた場所は広場になっており、夏にはビアガーデンが開催されるなど、人の多く集まる場所です。
札幌のはじまりであるこの地に置かれた『生誕』は、多くの人々に札幌の歴史を意識させ、未来への希望を持たせてくれそうです。
それでは、マチブラ部さんへバトンタッチします。
街:狸小路一丁目を抜けた先の広場にこの作品があります。
妙夢と同じく、広い空間に大きな大理石の作品があるため、狸小路で遊ぶ人々の待ち合わせ場所や写真撮影する場所に利用されておりました。
妙夢が待ち合わせスポットとして潜在意識に刷り込まれている札幌市民は、白い大理石の作品からは妙夢のシナジーを感じてしまうのでしょうか?
しかし私は、この作品に込められた意味が狸小路の待ち合わせスポットとして人を引きつけているのではないかと思います。その理由をご説明しましょう。
美術研究会さんの担当箇所で、こちらの作品は「生まれたばかりの新芽」を表現する作品と紹介されましたが、創成川に関連した歴史を見てみると具体的に何を表現しているかが見えてくると思います。
まず、「生まれたばかりの新芽」には、札幌がこの場所から生まれたという意味が込められていますが、そのように聞いてもいまいちピンときていない人も居るでしょう。
実は札幌市の住所を表す「北○条、南○条」「東○丁目、西○丁目」がどのようにして決められたかという背景には創成川が大きく関わっているのです。
創成川は、1866年(慶応2年)に校庭の銅像で有名な二宮金次郎から開墾の作法を学んだ大友亀太郎が幕府から派遣され、札幌村開墾の際に掘った用水路である「大友堀」が前身となっています。
この大友堀は南3条~北6条まで直進して流れており、1869年(明治2年)に北海道神宮の判官様で有名な島義勇が大友堀を東西の起点として札幌のまちづくりを開始しました。
その後、1870年(明治3年)には南3条~南6条、北6条以北にも伸び、今現在の創成川の形になりました。さらに、その翌年には船が航行できるまでに拡張され、南1条に「創成橋」が架かり、1874年(明治7年)には大友堀が創成橋の下を流れるということで、「創成川」という名前になりました。
つまり、私達が今現在住んでいる札幌市は南北に伸びる創成川と東西を通る南1条通りが交わる「創成橋」の東側を起点として東西南北に区割りされたため、札幌という街は創成川から生誕したと言っても過言ではないのです。
この歴史背景を踏まえた上で創成橋の近くにある安田侃さんの「生誕」を見るとなんだかジーンとくるものはありませんか?
また、創成川は「戦後のさっぽろラーメンの原点」とも言われています。
戦後間もない1946年(昭和21年)に、松田勘七が創成川河畔に屋台ラーメン『龍鳳』を創業。この時点ではまだ味噌ラーメンは誕生しておらず、豚骨ベースの醤油ラーメンでした。
そして翌年には、狸小路2丁目に西山製麺の創業者である西山仙治が『だるま軒』を創業。それまでは重曹を使用した真っ直ぐな麺が一般的であったが、西山はこの時、鹹水(かんすい)を使ったちぢれ麺を開発し、戦後初めての鹹水を使った麺が札幌で使用され広まったことから、今現在のようにさっぽろ味噌ラーメンといえばちぢれ麺というようになったのです。
そして松田は、龍鳳の隣にツブ貝とうどんの屋台を出していた大宮守人に屋台ラーメンの創業を薦め、ラーメンの作り方を教えました。龍鳳で修行を積んだ大宮が、第一回さっぽろ雪まつりの開催された1950年(昭和25年)に『味の三平』を南7条西3丁目に創業し、後に札幌を代表することになる「味噌ラーメン」を作り出したのです。
このことから、松田さんが創成川河畔に屋台ラーメンを創業していなければ、今も世界的に愛されている「さっぽろ味噌ラーメン」は生誕していなかったと言っても過言ではないのです。そういった意味では、創成川は「戦後のさっぽろラーメンの原点」と言えるでしょう。
このように「生誕」には、まちづくりの原点以外にも様々な原点の意味が込められていると思います。
そういった、彼が設置されるはるか以前から存在する多くの歴史的原点の意味が込められた作品から人々は無意識に「原点」を感じ取り、『生誕』を「友達や遠くに住んでいる家族など、人と一番始めに会う場所」即ち「原点」にしようと考え、狸小路やその付近で遊ぶときの待ち合わせ場所になっているのではないかと考えました。
まとめ
再開発によって、今の札幌駅から創成川東の方まで新幹線の高架が来ることやエスタ跡地に建つ建物に創成川横断デッキが建設されることなどに加え、北海道電力本店や大通バスターミナルの跡地やそれらの付近に新たなホテルや商業施設が建設されていくことにより、これからの札幌駅から創成川付近の様子はがらりと変わっていくと思います。
そして、設置されてからずっと見ていた景色が変わるとなると、これからこの作品たちは何を思うのか。変わらないのは作品とそれに込められた想い。彼らの気持ちになりながら、札幌駅から創成川をマチブラしてみてもいいかもしれませんね。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
第2部の「すすきの編」に続きます。そちらも合わせて読んでくださると嬉しいです。
それでは、良いマチブライフを・・・・・・
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