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自己流な読み方「ショック・ドクトリン」道半ばでの感想

 私はあまり読書をしない。なのに無謀にも現在「ショック・ドクトリン」を読んでいる。
 読書に慣れない私にとり、この本はお経のような存在である。なかなか進まないし眠くなるし。
 けれどもようやく上巻の第10章まで辿り着いた。先はまだ長いがよくやったぞ、私。

 まだ読み終わってもいないのになぜ感想を書いているのか。それはここまで読んできて、ようやくこの本の構成を理解できたように思えたからである。

 この本は副題にもあるように「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」ことについて書かれている。書かれてはいるが「惨事便乗型資本主義」って何よ? というレベルの私にとってはやはり、お経のような訳のわからない内容が本の中でデーンと待ち構えていた。

 内容はもちろんちっとも面白くない。
 さっそく第1章には、薄気味悪い人体実験とかが詳しく描かれているし。
 この人体実験の表現で読者にショックを与えようと目論んでいるのだろうけれど。「ショック・ドクトリン」はショックを与えなければならないから。

 根性を発揮して私は読み進んだ。心の中で「日本語で書かれているのだから理解できる、理解できる、理解できる」と何度も自分のことを鼓舞しながら。

 ストーリーの悪役は大勢登場する。特にクライン氏のお気に入りがフリードマンとピノチェトだ。どちらかが出てきたら経済破綻とか虐殺とかを思い浮かべたらいいと思う。

 どうだろう。だいぶ私もこの本を理解できつつあると、皆さん、思われませんか? え? まだまだですか...

 私はここまでこの本を読み進めてきて、ふと、思った。「あれ、この本って歴史の本じゃないかな?」って。

 私はこの本はてっきり「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」本だと思っていた。もちろん、それはそうなのだ。
 つまりクライン氏は「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」ことを証明するために、歴史を書いているのである。

 すごくざっくりだが第二次世界大戦の後の辺りから最近までにおいて、クライン氏は世界各国にある共通の出来事を発見した。それが「惨事便乗型資本主義」である。
 クライン氏はひとつひとつその例を書き出していった。そうすることにより、そこには歴史書のようなものが出来上がった。それが「ショック・ドクトリン」という本なのではないだろうか。

 なるほどー! 「惨事便乗型資本主義」を歴史のように書いているのが、この本なのね、この本は歴史書のような本なのね、と何となく理解した私。するとこの本がぐっと理解しやすくなった気がするのだ。

 ある国でこういうことがありました。そのうちのこういう点が「惨事便乗型資本主義」です。「自由」はやばいです。悪役のこの人はフリードマンのような人です。ピノチェトのような人です。
 このように因数分解をしながら読むと、この本は理解しやすくなるような気がする。

 これが今のところ私が気がついたこの本の読み進め方だ。これで最後まで理解できるのか、それとも無理なのか。もっと読んでいかないとわからないけれど、がんばるぞ!