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能動的に行動して、幸せになろう~アラン「幸福論」から読み解く人生観①
フランス哲学の第一人者アランの「幸福論」から、いかに幸福を感じる人物になれるのか。読み解いていきますね^^
アランは、もともとは、高校の哲学の先生で、毎週末に雑誌に哲学から学ぶ人生観を投稿していて、それをまとめたのが幸福論
1914年の世界大戦中の時代(タイタニック号が沈没事故を起こしたのは1912年ですので、同じ時代です)を生きた人物です。そんな戦時中で戦う人々の心の差さえになったのがプロポと呼ばれるコラムをまとめたのが「幸福論」。簡単にまとめていきますね^^
精神の疲れは、体の疲れのサイン~不安や悲しみにとらわれすぎず、まずは体をしっかり癒すことから始めよう
心の疲れを体の疲れは違うと考えがちですが、心の不調は、体のどこかが疲れているからというのアランの考え方です。「心は、体から変えられる」。体の疲れをしっかり取り、体をリラックスさせること。まずは、体から変えていきましょう。気分に対抗するのは、判断力の役割ではない。そうでなく、姿勢をかえて適当な運動をしてみることで、爽快な朝を迎えることができるとアランは説いています。
精神の不安は、体の疲れや不安からくるものである。(引用)人を意志して伸びをしたり、故意にあくびをすることができる。それは不安や焦燥に対抗する最良の体操である。微笑は不機嫌に対してなんらなすところがなく効果がないように見える。しかし、医師の薬箱のなかにだって、こんなに早くこんなにうまく効く薬はみつけられないだろう。
・自分が幸福であることが、世の中にとって良いことである。また、不幸にはかならず原因がある~不幸と思って生きるのではなく、少しの幸せに目を向けていこう。不幸を悲観する前に原因を冷静に突き止めよう
情念を捨てて、楽観主義になろう
アランの幸福論の中には、情念(passion)との向き合い方について詳しく解説されています。では、情念とは何でしょうか。情念とは一言でいうと、喜怒哀楽のこと。情念をどう理解するかで、結果は180度変わると言います。情念とは、デカルト時代から考えられている人の欲望を表す言葉で、驚き、悲しみ、惜しみ、欲望、喜び、愛など人の感情で、人が必ず対峙しなければならない感情です。ひとまず、何か感情にとらわれてしまうと、真実ではなくイメージが先行し、そのイメージが増大し、そこに人はとらわれてしまうというのです。「戦争」は、その情念の連鎖で起こる最大の悲劇だとアランは言っています。
(引用)情念のほうが病気より耐え難い。その理由はたぶこうだ。情念はわたしたち自身の性格や思想から全面的に起因しているように見えるが、それとともに打ち勝つことのできない必然性のしるしを帯びているのだ。情念に対して、私達はなす術がない。わたしたちが愛するにせよ、憎むにせよ、必ず対象が目の前にある必要がないからだ。12章
では、その情念に打ち勝つには、どうしたらよいのでしょう。人間は、意志の力が大事だとアランは説いています。情念自体はとても強い力だという考え方を基に、「意志」をいかに持つかで対峙できると言っています。幸福になりたければ、究極の楽観主義者にならなければならず、楽観主義者になるには、意志を持ち、行動することが大事であると説いています。「意志、努力、行動」これを回すことが大事ということですね^^
行動する哲学(実践の哲学)!これがアランの幸福論の軸です。
人生の主役になれ!
行動に没頭できること自体が幸福を感じられる一歩であるということでしょうか。幸福を得るには、観客ではなく、舞台にあがる役者でなければならない。と説いています。舞台を見に行くことと舞台で演じることは全く違います。演者は退屈することはなく、必ず燃える何かをもって演じることになるでしょう。受動的ではなく能動的に人生を生きること。幸せか不幸か、人がどう感じるかは、能動的に人生を生きているのか受動的に生きているのかに過ぎないということですね。能動的に動いてみましょう^^
どんな職業も自分が導くかぎりでは愉快だが、服従する限りでは不愉快である。44章
山頂から登山電車できた人は、登山家と同じ太陽を見ることができない44章
ほしいものは、全てそこにある山のようなものだ。私達は持っており逃げていかない。それがゆえ、よじ登らなくてはならない
あれこれ考えるのはやめて、まずは自分から動いていかなければ何も得ることはできないという辛辣な言葉をアランからもらっているきがします。自らつかみに行く努力!これが大事ということですね^^
幸福になることは義務~意志のある楽観主義者になって、幸せを伝達させよう
楽観主義か悲観主義かは、人の個性に見られがちですが、楽観主義でいるためには、意志をもって「希望をもって将来を考える」という意識を意図的に作り出さなければならないというのです。確かに、ニュースなどでは、将来の不安を掻き立てるものばかりですが、もっと希望をもって楽観的に物事を考えられる人が増え、メディアが増えれば、世の中が少しだけよくなるかもしれませんね。
「誓うべし」:悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。楽観主義が誓いを要求することがよくわかる。はじめはどんなに奇妙に見えようとも幸福になることを誓わねばならぬ。第93章
人の不機嫌は、周りの人間に伝達していく。例えば、不機嫌な客がレストランにやってきて、周囲やウエイターに当たり散らせば、ストレスを受けたウエイターや周囲の人間が、そのストレスを何らかの形で友人や家族にぶつけることになる。これが「不幸の連鎖」です。逆に「幸せ」を感じている人間からは、それが周囲に伝達していく。まずは、自分が「幸せ」であると感じることが、何よりも大事であるということでしょうね^^
(引用)要するに、幸福に関しては、推論することも予見することもできないのである。今現にもっていなければならない。幸福が未来の中にあるように見えるときは、よく考えてみるがいい。それはつまり、あなたがすでに幸福を持っているということなのだ。希望すること。それこそが幸福であるということである。
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