●ヴァナキュラー建築と進化の話
皆さんはヴァナキュラー建築というのを知っているだろうか?
ヴァナキュラー建築。
それは地域の気候風土に適した建築のことである。
雨の多い地域では屋根は傾斜を持ち、雨水が壁に当たらないように軒の出は長くなる。
湿気の多い地域では、床から高くなり、床下の空間が広くなる。
台風の多い地域では屋根が重くなる。
夏が暑い地域では風の通りが良くなるように、建物の作りは開放的になる。
木のたくさん取れる地域では、木を使った建物が建てられる。
冠婚葬祭を家で行う地域では室内の間取りは、可変式の壁(襖(ふすま))によって、大きな部屋になったり、小さな複数の部屋になったりする。
このように、その地域の気候風土に適応したつくりの建築をヴァナキュラー建築という。
そう、そして、これらはほんの少しだけ昔の日本の建築の話である。
少し街並みの話をしたい。
街並みが魅力溢れるものとなるための絶対条件は同様で同質な物の集合であるということ。
この条件は国や会社、部活に当てはめて見ても、そして自然界で見ても明らかである。無数の集合体で出来ている僕らは抗うことができない真実である。
そして、今の日本の街並みは同様同質なものの集合とは言い難く、とてもチグハグで、魅力を感じることができない。
僕は、常々このチグハグを一つの軸線上に収束し、同様で同質な物の集合へと導くものがナニカないかと模索している。
強制ではなく、皆んなが自然と納得し、自然と一つの方向に向かってしまうようなナニカだ。
そしてやはり、一つの答えとして、ヴァナキュラー建築に行き着く。
気候風土に適した建築を作るのはとても自然な事であり、合理的であり、そして自然と地域ごとに建つ建物の作りは同様で同質な物となる。そして魅力溢れる街並みとなる。
かつての日本がそうだったようにだ。
正確には、現代に比べて技術がなかったかつての日本では気候風土に適した建築を作らざるを得なかったという面があるだろう。
現代では、技術が発展して、屋根は重くなくても台風で飛ばないし、軒の出が短く壁に雨があたっても構わない。そう、自由になんでも作ることができる。そして自由になったからこそチグハグに彷徨っている。
まるで現代人のように。
だからこそ、しっかりと意識的に一つの軸を持つ必要がある。
ある意味、彷徨ってチグハグな街並みというのは風土には適しているのかもしれない。
しかしダメである。
僕は魅力溢れるワクワクする街並みを欲する。
以下の言葉を知っていただきたい。
人工の世界に現れる新たなものは、全て何らかの既存のものに基づいて出現する。(ジョージ・バサラ)
ベースとなるものがあり、そこから変化が起こり、新たなものが生まれるというこの発想は、まるで生物の進化のようだ。
人工の進化も生物の進化も根本は同じなのかもしれない。
そして、生物である僕たちは生物の進化と似たような現象には心が躍る。
では、地域の気候風土を無視した建築は?
建築単体をミクロの視点で見た時は、順当な進化を辿った建築であり、それは魅力的なのかもしれない。
しかし、地域というマクロな視点で見た時、
街並みというマクロな視点で見た時、気候風土を無視した建築とは、その場にベースとなるものがないのに突然現れた謎の物体でしかない。
まさしく、生物の進化を度外視した訳のわからない現象。生物である僕らが受け入れるのはかなり難しいだろう。