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【エッセイ】サイパン旅行記 三日目③
マナガハ島から帰ってくると、プロデューサーとカメラマンは先にホテルに帰っていった。夕飯までいていいよと言われたので、先輩と一緒にビーチに残った。
アジア人観光客で埋まっていたパラソル付きの椅子が空いていた。我先にと席を確保した。
海を一望できるその特等席で、やっと本を読めると思ったのだが、ちょうどいい疲労感と波の音が心地よくて、あまり読書は進まなかった。代わりにこのエッセイの続きを書いた。
エッセイを書きたいと、そう思ったのは水木しげるのラバウル戦記の影響だったが、それと一緒に、感じたことを残しておきたいという気持ちに駆られたからだ。今まで書いてきたものを読み返すと、最初はサイパンの些細な風景から、何かを感じ取っていた。それが、今ではあまり感じなくなっていることに気がついた。自分にとってサイパンにいることが「普通」になっているのだ。これはまずいと色々考えを捏ねくり回したが、感じたものと考えたものとでは、何か違うのだ。
考えたものは作為的だ。エッセイというものに、作為を入れてしまうのはいかがなものか。でもそうすると、もうこのサイパンで書きたいものは何もないように思えた。書きたいものがなかった。
夕日が徐々に落ちていき、空はオレンジ色に染まっていった。先輩はずっとスマホをいじっている。いや自分も、スマホでこの文書を書いているのだから、いじっているのと変わりはない。その差異は、一体なんなのだろうか。
「小説家志望の冴えない男」は、果たして自分が思っているほど、特別だろうか?
考えは途切れ途切れになり、次第に非論理的になっていった。エッセイという執筆物、そしてエッセイを書く自分自身、それらに価値を与えようと足掻けば足掻くほど、そこまで価値ってないんじゃね?と正直な自分の顔が暗闇の底から顔を出した。そして目の前に綺麗な夕景があるのも相まって、なんだがどうでもよくなった。自分の位置、自分の置かれている状況がどうでもよくなった。一生、小説家としてデビューできないかもしれないという不安は、目の前の現実に対してあまりにもちっぽけだった。
「Are you Japanese?」
後ろから現地人であろう日焼けした男に声をかけられた。YESと答えると、あそこにいる子供たちと遊ばないか?と言われた。
正直、言っていることの半分くらいしかわからなかった。すぐ近くにネットが張られており、そこで青年1人と少年2人がビーチバレーをしていた。ああ、あそこの子供達と遊ばないかってことかな? そんなことを考えていると、先輩がすぐに動いた。
「行こうよ。サイパンの思い出に」
先輩は流暢な英語で男に返答し、歩き出した。ついていくと、やはりそこでも少年たちに声をかけて、入れてくれるように言ってくれた。自分にはできなかった。先輩の英語能力が羨ましくなった。
青年1人の方に先輩が、少年2人の方に自分が入っていった。
ビーチバレーは無言のまま始まった。青年の方が、気を利かしてか、自分の方にボールを放ってくる。運動不足の体は、数時間前に泳いだお陰か、自分の思った以上に動いた。なんとかレシーブすると、少年たちがトスからアタックまで繋いでくれた。意外に良い連動だった。
ボールがコートの外に出ると1番に走って取って行った。ヨソモノが割り込んできたのだ、ボール拾いは率先してやらなければと、全くそんなことは思っていなかった。ただ勝手に体が動いた。
少年たちの攻撃が成功するとグッドとかナイスとか、拙いボキャブラリーで賞賛の声を出した。少年たちがこっちを見てニヤッとした。
ボールが目の前に勢いよくやってきた。一歩出ても届かない距離だったのでスライディングしてレシーブした。無理が効く体で本当に良かった。子供たちが小さく緩い声で「nice」と呟くのを聞き逃さなかった。たまらなく嬉しくなり、すぐに立ち上がって配置に戻った。そのまま少年たちの攻撃が成功するとハイタッチ、この瞬間がサイパンでの1番の思い出かもしれない。
少年たちにカタコト日本語で「オツカレサマデス」と言われた。他の日本人観光客に教えられたのだろう。新しく「アリガトウ」を彼らに教えた。
いつの間にか、空は紫色に染まり、ボールは見えなくなってきていた。だけど、終わらせることを考えていなかった。このまま、少年たちと飽きるまでビーチバレーして、夜ご飯も一緒に食べれば良いと思った。
先輩がこちらにきた。
「やばいもうホテル帰ってこいって連絡きた」
「やばいっすね、ラスイチで終わりにしましょう」
このラスイチが長かった。先輩が凡ミスしてもワンモア、自分がミスしてもワンモア、少年たちとの3段攻撃が失敗してもワンモア……少年たちも、いつまでやる?という感じで笑っている。
先輩がいいところにアタックを成功させて、そのゲームは終わった。
少年たちに礼を言った。使える限りの英語とジェスチャーを使って、自分の気持ちを伝えた。少年たちはケタケタ笑い、おそらく馬鹿な日本人だと思ってくれているのだろう。それでよかった。
ビーチからホテルまでの帰り道、確かな収穫を噛み締めている自分に気がついた。感動していたのだ。心が、ある定位置から違う位置に移動し、過去の定位置と今の位置とに確かな距離があることがわかった。この距離の正体は、まだしっかりと言葉にできそうにない。しかし、それを言葉にするために自分は書くのかもしれない。書き続けるのかもしれない。これからもずっと。
終わり