発達支援担当の保育園先生との本面談
立ち話から結局45分もお時間を頂いた翌々日
2020年2月5日(水)13:30~
改めてH先生との面談の時間を頂いた
先生からは今後の予定について
・支援計画書の作成
小学校進学の際にも引継ぐことができる資料
10ページほどあり今すぐ必要はないけど
まずは2ページほど作成してみましょうとのこと
・3月に再度支援センターの担当と面談
・幼児クラスにあがるタイミングで4者面談
私と現担任・新担任・H先生の4名
・ドクターの診察を受けるなら12月頃
と相談と提案をいただいた
先生は
「今のお母さんの心の整理はどうですか?」と
私のことも気にかけてくださった
妹への遺伝はありますか?
私が一番知りたかったこと
別個人なので関係はないという返答をいただいた
先のことは焦って考えてなくて良い
得意なことより「好きなこと」
息子の「今」幸せそうなこと・好きなこと
苦しそうなことに気づくこと
パパの存在
パパには話したのか?
今の私の気持ちを伝えた方が良い
むしろ発覚して
父親が同じ気質だと気づくケースが多い
1年は育休期間になるけど
いろんな場所に出かけてみたり
家でできる仕事をするなど
私のこともサポートしますと心強かった
パパへの確認
先日の立ち話の日の翌日
遺伝の可能性があると知った私は
パパにもその傾向があるのか聞いた
同じ傾向があると分かれば
息子の伸ばし方も分かる
プラスの意味で捉えたかった一方で
息子の傾向の要因が
私ではないところにあることを
証明させたい気持ちもあった
パパへの質問では
これまで生きにくさや
困りごとは自覚はなかったとのこと
ただ、チェックリストの大半には当てはまった
このとき、私はパパの遺伝だと確信に変わった
実母の反応
H先生との面談は30分ほどで終了した
その間、妹の子守に母がきてくれていた
先生との面談後
母に話すと息子の傾向に対して拒否感があり
その傾向を認めたくないという気持ちが伝わった
まだまだ「ふつう=幸せ」だと思っている様子
ただ母自身も甥っ子と比べると
息子への接し方は難しいと感じていたのは事実
だから育児の方法は気になっていたので
具体的な接し方が分かったのは良かった
と話していた
義母の反応
2月6日(木)息子が37.5℃の発熱があり
小児科を受診するために
妹を家から5分ほどの距離に住む
義理の母に預けた
その際に
先日の発達検査の結果や
今回のH先生の面談について
報告をしたけど
私の母とは対照的な反応だった
祖母の死
2020年2月7日
私が1番大好きだった祖母が亡くなった
突然のことで言葉が出てこない
身近な死に直面したことがなく
現実味がなかった
大好きだった祖母
息子が産まれた日も
母が「疲れているから病院へは行かないで」
と伝えたのに
こっそり私と息子に会いにきてくれた祖母
あのときのおちゃめでひょうきんな表情は
今でも鮮明に覚えてる
祖母にとっては私が初孫
本当に大事にしてもらったと思う
そんな祖母のことだけを考えていたいのに
そうさせてくれない育児の存在と現状が
悲しく、苛立っていた
告別式からの帰宅後
祖母に手紙を書いた
死の知らせを聞いたときには涙は出なかったけど
冷たくなった祖母の頬をさわって
告別式後に
ようやく現実を認識して
涙が止まらず
育児どころではなくなった
発達検査からのこの1週間
育児のこと
発達障害のこと
遺伝のこと
息子の将来のこと
考えて、調べて、話して
答えのないことに悩み疲れていた
祖母の死は
そんな考えすぎて疲れた私に
考えすぎないようにさせてくれたのかもしれない