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[ア・ゴースト・ストーリー] "A GHOST STORY" (2017)

公開前から、「ムーンライト」や「レディ・バード」などを配給してきた映画会社「A24」の新作と知って気になっていた。あらすじを読んでも、ホラー…では、ないね?というようなくらいしかわからなかったけれど。気づいたら公開されてて、しまったもう1ヶ月経って終わってしまう!と焦って師走のうちに観ました。

夫Cと妻Mが、田舎にぽつんと建つ静かな家に住んでいる。でもある日、不慮の事故でCが亡くなる。そこから、幽霊になったCの「人生」が始まる。

台詞はほとんど、ない。こういう作品の脚本にはト書きばかりが書いてあるのだろうか。ただ淡々と、静かに進んでいく。カメラはほとんど動かず、定点固定カメラのよう。アスペクト比はスタンダードサイズで横幅はかなり狭く、ホームビデオでも見ているような気になる。少し遠い位置からの、冗長とも思えるくらいのワンカットの長回しが何度か出てくるのだが、幽霊と同じようにこっそりのぞいている感じがして、観客も息をひそめて見てしまう。(もちろん、そもそも上映中におしゃべりはしないけれど)夫を亡くした妻Mがため込んだ悲しみをあらわにするシーンは、表情がはっきり見えないほど遠くから映したとても長いカットなのだが見入ってしまった。
幽霊になったCは生前と同じようにケイシー・アフレックが演じ続けているのだけど、大きなシーツにすっぽり被われて、手も足も見えず音もなく歩き(幽霊に足がないというのは日本だけらしい)、目のところに開いている穴はあれど表情がわかるわけではなく、声も一切発しない。ただ、じいっと妻を、自分の住んでいた(今も"いる")家を、見つめているだけ。正直、誰が演じても良いのでは…と思うほどだけど、なぜかそのシーツおばけの気持ちが伝わってくるから不思議だ。ちなみにCGはあまり使われていないので、周りの人は幽霊にぶつからないように通る(露骨に進路を変えることはないけれど)。すり抜けたりはしない。

本来、愛する人を亡くした人は「残された人」になると思うのだけど、この映画を観ていたら、残されているのは幽霊なのではないか…と思った。このCは、いわゆる地縛霊になる。生きている人ならば毎日の生活があるし、年をとるし、引っ越しなどの変化もあるだろうけれど、地縛霊はずっと変わらずそこにいるのだ。キリスト教徒が大半を占める国に「地縛霊」や「成仏」という概念はないと思うのだが、多くの日本人にとっては仏教的な考え方からとても自然に受け入れられるはずだ。「ああ、本当はもう成仏したいけど、まだ心残りがあるから、地縛霊としてここにとどまっているんだな」と。海外ではどのように考えられているのだろう?このあたりは、パンフレットを買ったのでもっときちんと読まなくては…

この映画でまた面白いのは、時間の概念だ。「亡くなったあとも妻を見守り続ける夫の幽霊」というだけでは、この話は終わらない。Cの魂、想い、愛は、やがて時間を超えていく。過去も、未来も、気づけば飛び越えて、だんだんと、このシーツを被った幽霊が「Cなのか」もわからなくなってくる。心残りって、なんだったんだっけ。誰を見守りたかったんだっけ……観客も、Cとともに切なく時を、人物を、超える。そもそも、登場人物がCとかMなんて名前になっているというのは、この映画は普遍的なものを描いているのだと言ってるようなものなのか。特定の人物や特定の時代を描いた話ではない、と。

私は観終わったあと、これは…しゅごい…魔訶不思議な映画だった…というのが率直な感想だったけど、決して嫌な感覚は持たなかった。やさしい気持ちになれた。こういう余白の多い映画って好きだ。「ムーンライト」もそうだった。あえて多くを語らない、静謐な映画。A24にはこれからも期待。

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