[MAURICE](1987)
彼を知ったきっかけはおそらくベタに「ノッティングヒルの恋人」かなにかだったと思うけれど、中高生の頃の私はヒュー・グラントの虜だった。近所にあるTSUTAYAのレンタルコーナーに足しげく通ってあちこち棚の間を徘徊し、家で契約していたケーブルテレビの映画チャンネルのカタログをくまなく見て、ヒュー・グラントの出演作を見つけては、これでもかと観た。B級作品も含め、おそらく当時ソフト化されているものは全部観たと思う。
何がそこまで好きだったのかというと、完全に顔である。たれ目最高。そして声、イギリスイギリスした英語の発音に、ちょっとしたどもりが最高だった。
そんな中で、わなわなしながら観たのが「モーリス」だった。腐女子絶頂期だった私にとって、燦然と輝く「俺得」作品だった。1990年代から2000年前後のヒュー・グラントはまだじゅうぶん若くてイケてる男性だったとは思うが、1987年の「モーリス」におけるヒュー・グランドは輪をかけてぴっちぴちで、ぎゅんぎゅんに瑞々しさがあふれていた。よく考えるとすでに公開時27歳なので立派なアラサーであったのに、学生役がしっくり来る。
彼らは「少年」でこそないが、萩尾望都や竹宮惠子の描く、全寮制の男子校におけるめくるめく世界に近いものがあった。た、耽美とはこのことか……。
タイトルである主人公のモーリスはジェームズ・ウィルビーが演じ、やわらかな金髪で少しとぼけたような顔をしているところがかわいい。しかし私が注目したのは言わずもがな、ヒュー・グラント演じるクライヴである。モーリスより1学年上級生、頭脳明晰、容姿端麗。上流階級ならではの豊かな自然に囲まれた邸宅があって、弁護士になった後いずれは政界進出を目指す。そんなクライヴは、ギリシャ文化に心酔し、ギリシャでは気高く美しいものとされてきた「同性愛」の感情を、親友であるモーリスとの間に抱く。今の自分たちが生きるイギリスでは「ギリシャ人たちの悪癖」と忌み嫌われていても、プラトニック(=プラトン的精神愛)なものならば許されると思っていた。
秘めた愛を共有し続けるふたりだったが、身近な友人が同性愛を罪に問われてすべてを失ったのをきっかけにクライヴが精神を病み、やがて互いに傷つけ合って別れてしまう。
クライヴにとってモーリスとの関係は若気の至りだったと捉えて、ひとりで気持ちに整理をつけたのだろう。残酷にも「別れた」後もモーリスとの関係を絶たずに、その後も親友として家族ぐるみの付き合いを継続する。結婚することになったから介添人をお願いできるか?なんて無神経にもほどがある。取り残されたモーリスの気持ちも考えずに「君とのことはいい思い出だよ、忘れてないよ」と手にキスしたって構わないと思っているのだ。
とにかくクライヴは、政治家を目指すくせに、ひとの気持ちがわからない無神経で傲慢な男なのだ。
ご都合主義で無残に主人公をかき乱す、悪役に近い存在クライヴ。しかし果たして、その後モーリスのことを「過去のこと」としてすっかり愛情を感じなくなってしまっているのだろうか?エンディングのシーンで映し出されるクライヴの表情は、ただの親友の決断を苦々しく思うだけのものではないと私には思える。
最後までかなりの嫌なやつ…なのだが、当時の私から見れば最高で見事な「誘い受」だった。(※個人の見解です)
モーリスの気持ちを案じれば切なすぎるのだが、クライヴに都合良く親友ポジションを継続されたことで、新たな登場人物と出会い、モーリスは自分の人生をかけるほどの愛を見つけるハッピーエンディングになるから大丈夫。
苦しくひりひりするも、最後はほっとするはず。
2018年5月の現在、30年のときを経て4Kデジタル修復を施して、映画館で上映されようとは。とにかく美しいし、いずれもジェームズ・アイヴォリー監督作品だというだけでなく、「同性愛」「ギリシャ文化」「同性愛からやがて"卒業"していく」等のテーマも共通している「君の名前で僕を呼んで」と併せて鑑賞してほしい。
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