ゲレンデの貴公子
私には、いや、私たちには ゲレンデの貴公子と呼ぶ人がいる。
その人は、ゲレンデの貴公子と呼ばれる前、おとなしくいつもニコニコ笑っている穏やかな存在だった。
会社の15人ほどの仲間で安比高原のスキーツアーに参加した。
私はスキーは3度目で、ボーゲンでもまだムリ、
もう1人は、ややうまボーゲン
後の1人は全くの初心者という女子3人で
滑っていた時のことだ。
そろそろ集合時間で、向こうのほうに
リフトは見えたが、午前券しかなく、
もう12時もすぎていたので、 このままリフトに乗らず、下ってみようかという話になった。
ところがその先にあったのが、
『熊落とし』と呼ばれる熊を落とすために作られたという超急斜面。
えっ、ここ降りるの?
3人で顔を見合わせた。
周りには誰もいなかった。
責任感の強いお姉さん的存在のややうまボーゲンは
私に 『初心者の子と一緒にいくから、
頑張ってなんとか一人でおりてね』と言った。
冷たい風のなか、そうだよね、それしかないよ。。
サッーと真っ直ぐに降りたいが、
怖くてとても板を前に向けることはできない。
とにかく横に進んで行って、
端の方の少し斜面がゆるやかになっているところで、少しだけ板を下に向ける。
よしっ、このまま進むぞと思ったら、
スキーの板だけ前に進み、
自分はドスンと転んで視界は真っ白になる。
急斜面なので、頭がずり落ちて、 天地が 逆転する。
派手に転んでしまった時は、
ストックはおろかスキーの板も両方外れてどこかへ行ってしまう。
なんとか自分の頭を山だと思う方に向け、
起き上がり、転んでも進んだんだから
まあ、いいよと、泣きそうな自分を励まし、
ストックと板をもう一度装着する。
雪が降ってだんだん風が強くなってきた。
その時『ヨコハマ タソガレ』を思い出した。
五木ひろしさんのように、
右手拳をぎゅっと握り、右腕を曲げて、
右脚に重心を置き、ヨコハマ〜と左へ進む。
そうして、端までいったら、左拳を作って、
左脚に力を入れタソガレ〜と進むのだ。
だが 余りの急斜面で、横に進むつもりが上に進んでしまったり
左にうまく体重を乗せられず、
いつもタソあたりで、転んでは滑り落ちた。
かなり厳しい状況だったが、
私より泣きたかったのは初めてスキーにきた
初心者の友達の方だっただろう。
初めてのスキーを楽しむつもりが、
目の前には怖すぎる超急斜面。
それにもうこれは吹雪と呼ぶんじゃないの
という悪天候。
あまりの寒さと恐怖で、身体は縮こまり、
もはやスキーの格好にすらなっていない。
私たちは、窮地に立たされていた。
そこに、一緒にきた仲間たちが上級コースから
滑りおりてきた。
その中で1人だけ私たちに気がついて、
声をかけてくれた人がいた。
私たちは、こんな急な場所と知らず
初心者なのに来てしまって、
こわくて、困っていることを彼に訴えた。
彼は一緒に行こうと言って、
ボーゲンややうまを先に滑らせ、
初心者についていくように言った。
すぐに転んで 滑り落ちる彼女のスキー板を
自分のスキー板で止める。
手を貸して立ち上がらせて、
飛んでいったストックを取りに行き
『大丈夫、大丈夫』と励ましてくれた。
きっといいスキー板だったと思うのに、
傷がつくことなど微塵も気にせず、
何度も何度も自分の板で止め、
大丈夫、大丈夫と手を貸していた。
その様子を、横目で見ながら、
集合時間に遅れているので、
先に行って知らせようと、必死になった。
吹雪はだんだん強くなり、視界はどんどん狭くなっていた。
もう滑っているというより、下へ下へと転がり落ちた。
その頃、山の麓では集合時間を過ぎても
戻ってこない私たちを心配し、みんなは、誰がいない?
どこではぐれた?
何故スキーの上手な彼が戻ってこない?
と大騒ぎになっていた。
全身真っ白の雪だるまになった私が
仲間のもとにたどり着き、
凍えながら、『〇〇君が。。。』と声を絞り出すと
『おう、どうした??〇〇がどうした?』
『今、あそこの急斜面で、☆☆ちゃんを助けてくれてて。。』
私の話を聞くや否や、何人かが斜面に向かった。
私の前にいた九州育ちの男子が、
レストランの椅子に座るよう言い、
温かい紅茶を持ってきてくれた。
やっと一息つき、じんわり解凍された。
その晩の焼き肉屋で、私たちを助けてくれた彼は、
そこにいた全員から、賞賛を一身に浴び、
ゲレキコ〇〇くんとして、 からかわれつつ、
尊敬され大人気になっていた。
万事控えめな彼は恥ずかしそうに笑っていたが、
その姿は、
まさに『ゲレンデの貴公子』だった。
その後、初心者だった友達は
スキーもスノーボードも上手になり、
ややうまボーゲンと一緒に、🇨🇦カナダへ
スキーへ行くほどになり、
私もボーゲンはできるようになった。
3人ともスキーを嫌いにはならなかった、
寒い冬の日に思い出す大切な思い出です。
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