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省いちゃモッタイナイ"手間"もあるんだなぁ、と思った話
昨日は、不定期開催でやっているうんなん界隈の社会教育仲間のご飯会。
気が付けば、松江・出雲から飯南までいろんな方にお越し頂き感謝!
(ちなみに、脱内輪盛り上がりを掲げ、毎回新しい方にもお声がけしてやっています)
経緯はなぜか忘れてしまったのですが、「とにかく「いも煮」を囲むんじゃい!」ということで、山形出身のお方にレシピとコツを教えて頂き、みんなでわちゃわちゃ(?)しながらつくりました!
教えてもらった、山形の醤油(味マルジュウ)をAmazonで購入するところから、既に私は楽しかったですw
あらためて思ったのが、このみんなで一緒につくるという手”間"こそが隠し味というか、そこになにかが"ある"なと。
ご飯会を始めた頃は、なるべく"楽"にできるように、お弁当を取ったり、居酒屋でやったりしていました。
が、みんなで一緒に調理や準備・片付けをしていると自然と会話が弾むし、なんだか楽しいんですよね。「一緒につくる・一緒に食べるということがシンプルにこんなにも楽しいとは!」と感動さえ覚えますw
いろんな場面で"間"って大事なんだよなと思うことが多いのですが、みんなで一緒につくるというこの手"間"も、大事なんだな(省いちゃダメな"間"だ)としみじみ思っていたのでした。
話変わって、昨今では、いろんなところで「働き方改革」という錦の御旗(?)の下に、とにかく〇〇を減らせ、〇〇を省けという大号令が飛び交っているような気がします。
キレイゴトばかり言っていても仕方ないし、本当に苦労されていらっしゃるかたもたくさんおられる。だからこそ、必要な「働き方改革」はたくさんあると思います。
ただ、なんでもかんでも手当たり次第に"手間"を省いていったら、最後に残るのはいったいなんだろうと時々思ったりもします。
確かに時間はできた。でも、残っているものは、なんだかパサパサしていて無味乾燥な何かだけだったら。。。
だからこそ、時に立ち止まって、自分にとって残しておきたい"手間"ってなんだろうと問いたいですね。