ハンバーグランチが思い出させてくれた外国人の同僚との働き方。
たっぷりかかった濃厚なデミグラスソースと添えられたポテト。メニューに書かれていた「ハンバーグランチ」の文字を見て、僕の頭にはそんな光景が浮かんだ。
とあるカフェでハンバーグランチを頼んでから、だいぶ時間が経っていた。「空腹は最高のスパイス」。そう自分に言い聞かせて、首を長くして待っていると、ようやくハンバーグランチが運ばれてきた。
「しかし」、である。僕は運ばれてきたプレートを見て自分の目を疑った。ハンバーグにたっぷりとかかっていたのはデミグラスソースではなく、真っ白なクリームソース。そこまでなら、百歩譲ってまだ耐えられた。
が、想像していたポテトの代わりにこれでもかというくらい乗せられていたのは、僕の大の苦手なキノコ。もはや悲劇を通り越して、壮大なネタであった。
こんなアドリブ効かせまくっているなら、メニューにも「キノコたっぷりクリームソース」と書いておいてくれよ。そう書いてあったら絶対頼まなかったから。そんなことを思いながら、キノコをよけてハンバーグランチをかき込むように完食した。
僕の中では「ハンバーグランチ」と言えば、当然デミグラスソース(そして、ポテトも添えてありそう)だったのだが、どうやらお店側では、「ハンバーグランチ」と言えば、当然クリームソースにキノコだったようだ。
メニューに「キノコたっぷりクリームソース」と書いてくれなかったお店の対応がよくなかったのか、それとも「ハンバーグランチ」というメニューを頼む前に「ソース」と「トッピング」を確認しなかった僕が悪かったのか。
まぁ、そんなことを考えても仕方がないかと開き直ってみたが、これはガーナで働いていた時に考えた「外国人の同僚との働き方」と通じるところがあるな、と感じたのでnoteにも書いておこうと思う。
外国人の同僚との働き方で苦戦することにランキングを付けるのであれば、「コミュニケーション」が上位に入ってくるはずだ。そして、その主な理由のひとつはお互いの「当たり前」が違うことだと思う。
繰り返しになるが、今回のハンバーグランチを例にするならば、片方は「ハンバーグランチ」と聞いて「当然、デミグラスソース&ポテト添えでしょ」と考え、もう片方が「もちろん、クリームソース&キノコ盛りでしょ」と考えているような状態だ。
日本人は阿吽の呼吸だったり、暗黙のコミュニケーションのようなものを大事にしがちなので、つい言葉足らずになってしまう。というか、そんなに細部まで言語化することが失礼なのでは?とさえ感じてしまうこともあるのではないか。ただ、そんな言葉足らずの時に限って、お互いの「当たり前」が異なっていると、そこに待っている結果は期待外れか、悲劇か、はたまた衝突なのである。
「当たり前」は、あくまでも「自分にとっての当たり前」であって、「相手にとっての当たり前」は別に存在する。
だから、お互いの「当たり前」の間にあるギャップを埋める努力が必要だ。解釈の余地があるようなことは、きちんと言葉ないし文字にしてコミュニケーションをとること。
ガーナで働いていた時には意識していた「外国人の同僚との働き方」。僕の苦手なキノコがたっぷりだったハンバーグランチが思い出させてくれたのはそれだった。(でもこれって、外国人だけじゃなくて、日本人の同僚と働くときにも大切だよねと思いつつ)
最後に声を大にしてもう一度言いたい。「ハンバーグランチ」とだけ書かれたメニューを見たら、恥ずかしがらずにこう聞こう。「ソースは何で、トッピングは何ですか」と。