平和宣言を受け止めて、考えたこと(2020年8月)
「ヒロシマ」、「ナガサキ」。日本から遠く離れたガーナの地で、日本のイメージを聞いた際に上位に挙がったのがこの言葉だ。
自分たちの国の歴史に学び、自分の言葉で平和について語れること。世界の舞台に一歩足を踏み出して活動するのであれば、このことはパスポートみたいなものだと思う。
いろいろなところで平和宣言は出されていると思うが、毎年「沖縄」、「広島」、「長崎」の平和宣言はしっかり目を通すことを心掛けている。やはり本質的なこと、大切なことはシンプルな言葉に収斂されるのだろうか。3つの平和宣言を拝見して、主なメッセージは共通している印象を受けた(自分が受け取った主なメッセージは以下のとおり)。
・相互不信の超克(困難や苦しみにうちかち、それを乗りこえること)
・信頼の構築に基づく連携と行動
・上記2点に対する当事者意識、ジブンゴト化
新型コロナウィルスの流行によって、日本国内ですら、「他者への不信感」と「自分たちの地域だけは守りたい」という「自国(自地域)第一主義」的な空気が蔓延しているように思える。まさにこの延長線上が戦争の再来であり、この克服を通じた連携による行動が平和への第一歩だと感じた。
そして、何よりも大事なのが当事者意識であり、社会課題のジブンゴト化だ。振り返ってみると、自身の日常の中ですら「他者への不信感」を感じることも、「とりあえず自分だけよければいいや」と思いたくなってしまうこともたくさんある。ただ、ひとりひとりのこういう想いが積み重なって、気が付けば後戻りのできない状況まで行ってしまう。そう思うと、急に背筋がゾッとした。けっして他人事じゃないと気が付いてしまったから。
まずは自分の手の届く範囲で「他者への不信感」と「自分第一主義」を打ち破ることができるか。行動と一致しないメッセージは誰の心にも響かない。だからこそ、まずは自分のできる範囲からしっかりと行動していきたい。
平和宣言のメッセージの宛先は、もちろん「国」でもあるが、同時に「僕」なのだと思う。このメッセージをどう受け取るか、どう行動するか。それは、僕自身にかかっている。