「〇〇がない」という「余白」そのものが「地域の資源」だと気づいた話
「地域の資源」と言えば、「あるもの探し」が定石だと思っていた。
「ないもの探し」なんてしたってしょうがない、とさえ思っていた。
が、見方を変えたら、
「〇〇がない」という「余白」そのものが「地域の資源」と言えるかもしれない。そんなことに気がついた。
具体例を挙げてみよう。
地域に高校はあるけれど、高校の近くには高校生が立ち寄れる場所が「ない」。でも、見方を変えれば、そういう場所を高校生や地域の人たちと一緒につくる「余白」≒「関わりしろ」が「ある」ともいえる。
物理的な有無ではなく、物理的な有無の先にある「あるもの」まで、想像力をはたらかせることができるか。「地域の資源」を探すときには、そんな粘り強さが大事なのだろう。
「〇〇がない」という「余白」そのものが「地域の資源」だ。
だからこそ、一周まわって「ないもの探し」からはじめてみる。
地域の資源を探す糸口として、そういうアプローチも捨てたものではないのかも。
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