見出し画像

my story:ホストファミリーホームレス pt1

学校が決まり、授業についていくのは必死でしたが学校生活の方は落ち着きつつありました。しかし次はホストファミリー問題が。以前も書いたプレハブホストファミリーは土日は丸2日家にいない事がほとんどでした。私と4歳の男の子だけです。完全にこれはベビーシッター状態。この家には冷凍庫にはテーブルディナーと言われる冷凍食品がいっぱい詰まっていて、屋根と天井の隙間にある倉庫というかちょっとした収納場所には缶詰がいっぱいありました。シアトルでいろんな食料品店を回って一緒に作った環境とはまるで違う。それでもこの家のやり方なんだと、なぜかいつでも私はポジティブで(知らぬが仏?ただのアホ?)無知というものは良いような悪いような。。。実家でも冷凍物を食べた事がほぼなかった生活(缶詰はキャンプの時くらい)だったので面白そうやなぁ。レンジでチンするだけで食べれるこんなんあるんやと興味津々で片っ端から食べました。後にも先にも色んなブランドの冷凍食品をこんな食べたのはこれが最後です。味はこれはまぁまぁイケるなと思う物もあれば美味しくない物もたくさんありました。缶詰の量もこの人達は何を恐れているんだろう。この世が終わるとでも思っているかのような非常食バッチリな感じがちょっと私には気味悪く感じました。しかしここでマック&チーズというマカロニに溶けたチーズが絡まった箱に入った即席でできるものに出会い、私は美味しい!!!とそればかり食べその上アメリカのあらゆるジャンクフードに手を出したおかげで体重が10kg以上増えて日本に帰ることになりました。タベモノウソツカナーイ(笑)4歳の男の子と何をしたのか一切記憶になく、どんな子供だったかも記憶にない(汗)シアトルの4歳の男の子の事はすごく覚えているのに。ただ私は小さい子供や赤ちゃんに全く興味のないティーンでよくお友達がベイビーシッターでお小遣いを稼いでるというのを聞いてわぁなんて面白くなさそうな仕事。。。(心の中で)とさえ思っていました(笑)とにかくあまりのシアトルのホストファミリーとの差、ベビーシッターをやらされてる感(頼まれることなくとにかく朝起きたら子供を置いて居てない状態、後で聞くと仕事だったらしい)で留学中留学生を働かすホストファミリーがいるので注意してくださいと言われていたこと、仕事をさせられたり、利用される事が多い事を聞いていたのでこれはもしや、、、と思いカウンセラーに相談しました。カウンセラーもその頃自分の離婚問題もあったり私の学校の問題もあったり、なんか個人的に忙しそうだなーというイメージがあって私の事はちょっと手に負えない的な雰囲気を感じたりもしました。カウンセラーはホストファミリーを探すのも大変です。なので探して欲しいとは言わないけれど自分で見つけた場合そこに変えても良いですか?と問い合わせたら良いよと言ってくれました。(その後彼女はカウンセラーをやめ、私は違うカウンセラーに着くことになります。そしてその新しいカウンセラーはこれまた私の人生で無くてはならない縁を持ってきてくれた人でもあります)学校で友達にホストファミリーを探してると色んな人に言って、さすがにクラスメイトと一緒に住むのは嫌だろうとその友達や親戚など当たってもらうように伝えました。するとクラスにいたフィリピン系アメリカ人の女の子が私の友達家族が興味があると言ってるよと教えてくれました。ちなみにこの私立高校の私のクラス(一学年1クラス)27人中、黒人は3人、アジア人(フィリピン系アメリカ人)が3人プラス私日本人。後は皆白人でした。アジア人は私以外は2人は女子で1人だけ男子でいつもこの3人は一緒で私が入ってきた時から一緒にランチ食べようとかとにかくよく誘ってくれるフレンドリーな人達でした。結構知的ギャルっぽい?(そんなんあるのか?!)って感じの可愛いルックスの女子2人で成績もすごく良い生徒でした。でもジャネットはあっちのグループに行ったらあなたアジアングループに入ってしまうわよ。と言いました。アジアングループ。。。。そう思えば皆人種でグループが分かれている感じでした。黒人の子は黒人グループで、アジア人グループはアジア人グループで。なぜか私はいつもわー白人だらけとか、あーあの人アジア人、とか思う事なく私の中では皆「英語を話すアメリカ人!」でした。そこで時々ジャネットが人種に対して言う言葉が引っかかるようになりました。でも特に言い返せず聞いている状態でした。そしてアジア人である事が恥ずかしいと思わせるような事を言った時は腹が立ったし、なんでそんな事言われなきゃいけないんだろうと悲しく思ったりもしました。その時はただ聞いているだけで何も言い返せませんでした。フィリピン系アメリカ人の子から紹介されたホストファミリーはフィリンピン人でお父さん、お母さんがフィリピンから来た人で訛りのきつい英語を話し、家の中ではタガログというフィリピン語を話しました。私より2つ上のお姉さんがいて、私と同い年の男の子が居る家庭でした。会ってとても良い感じだったのでお世話になりますと返事をし、また引越しする日を連絡するね。と言って去りました。次の日ホストファミリーが放課後迎えに来てくれた時は私の荷物が全て車に積んであり、これからフィリピン人家族のお宅へ行くと知らされました。なんだか全てが呆気ないというか虚しいというか、すぐにでも出て行って欲しいと言われているようなそんな感覚でした。お別れの時に束になったお手紙を渡されました。日本からの家族やお友達そしてシアトルからの家族から送られてきたお手紙2ヶ月分でした。その時色んなストレスや疑問が怒りとなりなぜこれを渡してくれなかったのかと聞いたらあなたがホームシックになるのを避けたかったからと言われました。隣にいたジャネットは私の気持ちを知り、私の代わりに彼らに暴言を吐き、ほぼ喧嘩になっていました。そのホストファミリーはジャネットの事をよく思っていなく、私には悪い虫の友達だとずっと言われていて寄せ付けないようにもしていたのでジャネットもここぞと怒りをぶつけた感じでその後2度とそのホストファミリーと会う事はありませんでした。今思うとそれでも2ヶ月お世話になったホストファミリー。お礼を言うこともなく喧嘩別れしたこの縁。後にも先にもそんな残念な形でお別れした人はこの人達だけでした。苦い思い出とともに人とこんな風に別かれるのは本当に残念だと思う経験をしました。そんなで私はフィリピン人のホストファミリー宅にて過ごすことになりました。

いいなと思ったら応援しよう!