人生モチベと同期
人生モチベとは人生に対するモチベージョンの略として私が使っている言葉である。
ボランティアの団体で関わっている同期は、人生モチベが高い。将来の目標が定まっていて、そこに至るまでの過程、するべきことを明確にしている。人生に対して執着があるというか、こだわりがあるというか。人としてあるいは学生としてあるべき姿なのかもしれないけど、わたしはその姿を見てどうしても、あいつすごいなあとぼんやり、違う世界の人みたいに見てしまう。
「君ちゃんはあと計画性さえあればすごい人材なんだけど」
例の団体で上の役職に立候補してみようかな、と思ったのは、その同期が上の役職に就くことが水面下で決定していることを知ったからだ。彼みたいにモチベが高い人の人生をよく知りたいと思ってた。わたしとは全く違う生き物に思えるから。
わたしの意向を先輩に話したときに言われたことが始めのあれだ。わたしは目的をスマートに達成するというよりかは、愛嬌とアイデアと力尽くでなんとか凌ぐとかギリギリなんとかするみたいなことが多いタイプだ。
逆に同期は計画性も実行力も統率力もバッチリだけど、親しみやすさ、フランクさは無いという、わたしと正反対な感じ。でも人として信頼できるのはもちろん同期の方だろう。最近の同期は親しみやすいと思ってもらえるよう努力している姿がよく見える。だけどわたしはまた期日に間に合いそうになくて、パワープレイに頼ろうとしている。
計画性ってどうやったら手に入るの と同期に聞いたら、「自己評価の基準を上げて、70点で満足できなかったら自然と計画立てるでしょ」と言われた。同期は100点からの減点方式だそうけど、わたしは「生きている+100点スタート」の加点方式だから天井がない。なぜこう考えるようになったかというと、わたしが0か100の極端な考えしかできないからだ。100点じゃないなら0点でいい と思うから、じゃあ生きてる意味もなくない?に行き着いてしまう 軽率に死んでしまいそうになるから、わたしは、せめて生きてるだけで100点だと無理やり自分を納得させる。100点からどんどん加点していって、現実的じゃない得点にすることで、自分が満足できるように生きられない自分でも生きてていいと思わせてる。
それに計画を立てるには現状を把握することが必要不可欠だろう。現実と向き合いたくないわたしにとっては、今の自分が抱える現実について考えるだけで嫌になるのだ。考えなくちゃいけないことなのに。
逃げてちゃいけないのはわかってる 自分が満足できるように生きることからも、現実を受け止めることからも。それすらできてないから、その他のすべてをなあなあにしてしまうんだ。人生モチベが低い理由はそれだ。
わたしと同期を足して2で割りたいけれど、おそらく同期はわたしと混ざりたくはないのだろう。立派な大人になれるのかな。はーあ。
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