奇跡の妊娠で生まれた娘が、奇跡を引き当てた話 (二分脊椎の娘のあしあと①)
※このマガジンでは潜在性二分脊椎の娘に関して、同じような立場の人への情報提供したいという一方で、一般の人も楽しく読めるように少しポップに描くことを心がけています。少々不謹慎な表現もあるかもしれませんが、当事者としての率直な気持ちでもありますので、寛大な気持ちで読んでいただけると幸いです。
ミドサーの繊細なライフプランと突然舞い降りた奇跡。
2022年、シンガポールに駐在してちょうど5年を迎えた35歳の私。
遡るはその5年前。
突然知り合いもいないド田舎に配属になり涙目だった私。
コミュ障の癖に人と会わないと死ぬタイプの私は、なんとか友達を作ろうと近場の都会に繰り出し、友だち作りのサークルに顔を出してみるも、キラキラした若いノリに怯んでしまう、こちらアラサーコミュ障女。
人当たりの良さそうな人と少し仲良くなり、お家にお邪魔すると、
素敵な調理器具を紹介されたり (ア◯ウェイやんけ。。)、
コミュニティの偉い人に会わせてあげるよ! (新興マ◯チ団体、、)
犬も歩けばマ◯チにあたる。
そんな格言ができそうなくらい、マ◯チに勧誘される回数が多くて、この街どないなってんねん!!と憤る気持ちと、人間不信に陥りそうな気持ちとが混ざった僻地での日々。
「もうそろそろ転職して地元にでも帰ろうかな。。」
なんて弱気に腐っていた私に突然降ってきたのが、予想だにしないシンガポール駐在の切符。
そこからは与えられた役割を全うできるように仕事に邁進し、海外で働いていると同志のような気持ちになれるからか、無事新しい (もちろんマ◯チではない) 友達もでき、友達のご縁で夫とも出会うことができ、コロナ禍で遠距離婚という困難に立ち向かいながらも、充実した人生を送ることができたのでした。
(ありがとう、会社!!育休後は頑張るよ!!涙)
そして、2022年に話を戻すと。
弊社のヒラ駐在員の任期はだいたい5年で、一応任期は全うした私。その頃、夫は近隣国に駐在中でその任期がもう少しで切れるタイミング。
「これは二人で日本に帰って、お互い歳も歳やし妊活やな!!」
なんて考えていた矢先。
夫二度目のシンガポール駐在の内命が。。
会社の温情で、夫の帰任時に一緒に帰任させてもらうはずだった私は、
「え、私あと何年シンガポールに駐在せなあかんの!?」
と、少しパニックに。
もちろんシンガポール駐在の環境はとてもいいものの、私がずっと居座ると海外駐在したい若い子の芽を摘むことになるし、ミドサーの私にとってライフプランが不透明なのもストレスでした。
もやもやしながらシンガポールと夫の駐在国を定期的に往復する生活の中、突然舞い降りた妊娠という奇跡。
純粋に驚きとともに嬉しかったのもそうですが、
「これで、育休で後任にポストを譲れるぜ。。」
なんて少し安堵したのも、正直な気持ちでした。
高齢出産の不安とシンガポールの進んだ医療
「夫婦ともに30代後半やし、すぐに子供なんてできないやろな、、」
なんて予想を覆し、奇跡的に自然妊娠した私。
とはいえギリ高齢出産だし、無事に生まれてくるかな、、と不安に。
ただただ楽観的な夫とは違い、あらゆるリスクを考え、最悪の状態まで想定してから、まぁどうにかなるやろ!と開き直りたいというネガティブかポジティブかわからない、ややこしい性格の私。笑
事前に考えうるリスクはできるだけ知っておきたい。
シンガポールでは出産前に胎児異常を見逃すと訴訟になるらしく (*1)、それもあってか、出生前診断が日本より安くポピュラー。
特に35歳を超える妊婦には出生前診断を強く推奨する方針のようで、私もご多分に漏れず診断を受けることを勧められたのでした。
ご存じの方も多いかと思いますが出生前診断にはいくつか種類があって、通常の超音波検査でのNT測定の他に、クアトロテストとNIPT等があり、シンガポールではやはりNIPTを選択する人が多いよう。
採血から結果がわかるまで約1週間強。
やきもきしている私にクリニックの助産師さんから、
「NIPTの結果でたよ~全て陰性だったよ~性別知りたい?」(イメージ)
みたいな軽いノリの電話が来て拍子抜け。笑
(もちろん、100%ではないことは承知の上です。)
シンガポール、医療機関の人もノリが軽い説。
その後の経過も順調で、毎回の検診、2回の胎児ドッグも問題なし。母体も貧血で高額な鉄の点滴を打たされた以外は問題なし。笑
コロナ禍で太った上に妊婦として順調に体重を増やしていた私は、
「こんなに太る才能あったんやーー!驚」
と思うともに、これ元に戻るの!?って焦りもありました。笑
そして、産後1年でいまだ来星時より+10kg強なのはさておき。涙
計画無痛分娩の予定日まで出産への不安はあれど、元気な子が産まれてくると信じて、日々を過ごしていたのでした。
根性なし親子の出産と小さな異変。
いよいよ出産の日。
初産婦は当日未明に病院に入院。
早い段階で先生が破水させたのもあり、入院から約20時間ほどで出産。
腹筋がなくていきむのがクソ下手だった私と、のんびりやさんで出産中に眠ってしまう娘の根性なし親子のタッグではなかなか出産が進まず、結局最後は吸引分娩での出産に。。
お産後に先生に、
「腹筋鍛えたほうがいいよ!!」
って言われたのが印象的でした。笑
ごめん、先生と娘。
娘は出産時に口鼻に水が詰まっており、すぐ泣かず、
出産直後で体を起こすこともままならない私は、
「え、大丈夫??産声聞けてないけど生きてる??」
なんて時が止まったような感覚になりましたが、羊水を吸引してようやく産声を上げてくれ、よかったーーと号泣。
その後、麻酔のせいなのか1時間強震えが止まらず、いろいろな気持ちが合わさったからか、ずっと号泣していた私。
「嬉しくて泣いてるの、、?」
と先生に戸惑いながらやや呆れられたり。
(サバサバ系女医さん、なかなか厳しめ。笑)
そんな中、娘の処置中に、夫と助産師さん?が何かを話していたのですが、私は震えと号泣でそれどころではない状態。
後ほど尋ねると、背中に小さな穴があり、念のため検査するとのこと。
その頃はまだ二分脊椎という病気があることも知らず、怪我かなにかかなー?と呑気に捉えつつ、ただただ娘の誕生を喜んでいたのでした。
翌日、小児科の先生の診察があり、診察結果を聞くことに。
概ね問題はないが、黄疸の値がやや高く入院が少し長引くかもということ。
そして背中の穴に関しては、"骨髄性髄膜瘤"の可能性があると。
(※日本語の病名と異なるのは、英語から日本語への翻訳の問題かと。)
ひとまず退院前に超音波検査で確認し、もしその可能性が高そうであれば、6w以降に脳と背中のMRIを撮って確認する必要があるとのこと。
ただ、患部が皮膚に覆われており、現在身体の異常も見られないことから、そこまで深刻なものではないとの所見でした。
初めて聞く病名への不安と先立たない後悔と。
「骨髄性髄膜瘤、、なんじゃそりゃ??」
初めて聞く病名に動揺を隠せない私。
前に説明した通り、リスクを事前に全部知りたい私は、早速検索魔に。
上記の病名で検索すると、最初に出てきたのが開放性二分脊椎である”脊髄髄膜溜”。
背中に大きなコブができた赤ちゃんの画像とともに、
水頭症や足の麻痺、排便・排尿障害等の文字が。
ちなみに、発症確率は日本では約10,000人に1人。
パーセントにして0.01%。ある意味奇跡に近い。
「え、よりによって要らん奇跡を引当てしもうた、、」
そんな思いで、産後の涙腺の弱さもあり、涙が出そうに。
その後も検索を続けると、うちの子は患部が皮膚で覆われているので、どうやら”潜在性二分脊椎"の方なのかなと。
障害の内容は足と排便・排尿障害であるのは同様であるが、障害が残るかはかなり振れ幅がある感じ。
何も障害がなく暮らしている人もいれば、歩行が困難であったり、導尿等が必要な人もいるとのこと。
障害が発現すると不可逆のことが多く、必要に応じて予防手術を受けるか、経過観察で障害が発現し始めたら早い段階で手術をするか。
どちらにせよ、少なくとも成長期までは経過観察が必要とのこと。
「障害が出るとヤバいけど、もしかすると何もないかもしれん、、!!」
リスクを知った後はポジティブシンキングの私。
自慢ではないが、自分の人生もなかなか波乱万丈だったけど、最悪の事態は常に免れるというある意味強運の持ち主。
だから娘も大変になるけど、最悪の事態までにはならないのでは?
と、謎の自信を持ったのでした。
とはいえ、娘を産んだのはこの私。
検索の中で、妊娠超初期の葉酸摂取が発症確率を下げる情報も目にし、
「健康に産むためにもっと勉強しておけば、、」
なんて先に立たない後悔もしたものでした。
その後退院までに超音波検査をし、やはり病気の可能性が高まったため、鎮静剤に耐えうる6w以降に同じ病院でMRIを撮ることに。
また、黄疸の値が退院までに下がらず娘より私が先に退院することになり、娘を家に連れて帰れず、不安な気持ちで病院を後にしたのでした。
【参考文献】
*1 ラッフルズホスピタルの医師コラム「死について32」
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