読書記録 本日は、お日柄もよく 原田マハ
言葉はメッセージカードのようなもの。
一枚一枚に、思いを書きつける。取っておくもよし。日々眺めるもよし。必要なくなれば破って燃やしてもいい。死ぬまでずっと心にしまっておいてもいい。でも、誰かの目に、耳に触れれば、なおいいだろう。誰かに伝えられれば、なおすばらしいだろう。思いを共有できるかもしれない。心と心を響き合わせることもできるかもしれない。
世の中に、早ければ早いほどおいしいものが、
三つあります。
一、ボージョレ・ヌーボー、ニ、牛丼、三、結婚。
そして、年月を重ねれば、重ねるほど、深いうまみが増してくるものが、三つあります。
一、愛情、ニ、人生、そして三、結婚です。
言葉っていうのは、魔物だ。人を傷つけも、励ましもする。本やネットを目で追うよりも、話せばなおのこと、生きた力をみなぎらせる。この魔物をどう操るか。それは、話す人次第なのだ。いい魔物にするのもら悪い魔物にするのも、スピーカー次第。聴く人を落ち込ませるのも、元気にするのも、ぜんぶ、スピーカー次第なのだ。
言葉は書くのも読むものでもない。操るものだ。どんなに一所懸命書いても読んでも、広く一般に受け入れられない限り、言葉の効力って限定的だ。言葉を操れなければだめだ。じゃなきゃ、結局、世の中動かせない。
何もかも聞いて、最後に一言だけ、言う。
悲しいなら『大変でしたね』。
明るい話なら、『すてきですね』って。
言葉を全身で受け止めてみる。
しゃべること以上に大切なこと。人の話を聞くこと。もっとも初歩的で、かつ難しいこと。人の話を聞けなかったら、うまくしゃべることはできない。
困難に向かい合ったとき、もうだめだ、と思ったとき、想像してみるといい。
三時間後の君、涙が止まっている。二十四時間後の君、涙は乾いている。二日後の君、顔を上げている。三日後の君、歩きだしている。
そんなに難しいことじゃない。人間はそういうふうに出来ている。
体を何も言わずに抱きしめる。ただただ、静かに、優しく。
そして、ぽんぽんぽん、と三回、背中を叩く。
幼子をあやすように。
ほんとうに弱っている人には、誰かがそぼにいて抱きしめるだけで、幾千の言葉の代わりになる。そして、ほんとうに歩き出そうとしている人には、誰かにかけてもらった言葉がなによりの励みになる。
愛せよ。
人生において、よきものはそれだけである。本日はお日柄もよく、心温かな人々に見守られらふたつの人生をひとつに重ねて、今から二人で歩んでいってください。
たったひとつのよきもののために。
おめでとう。