誰かと比較して卑屈になる。自分の価値をどこに見出すか。
重い話じゃございません
「お前らは負け犬だ」
と言われたのは私立中学1年、最初の授業でした。
入ってきたばかりのピッカピカの一年生に対して、なんて言葉をとお思いかと思いますが… いや、まったくその通りです笑
でもこの先生が言いたかったのは、第一志望に落ちて、第二志望校として入学してきた子が多かったからですね。先生が卑屈になっていたわけではなく、負け犬精神が身についたら、今後の勝負にも負けていくから、という話のイントロでした。
この先生、規律に厳しかったりしましたが、なんだかんだで生徒に好かれていました。ガラ悪い友人もこの先生の話だけ聞いてたりして。
そして、やっぱり私は負け犬です笑
予想通りといいますかね笑
中学以降も、学業の面でも趣味の面でも、負け続けました。1位になれないとかではなく、5位にも入れない。
上位に入るための努力を「なにくそ」といった精神でやらなかった。敗因です。
大学もまぁ、ある程度。
その後は、まぁ、ある程度以下。
後輩には舐められ、尊敬されることもないです。
とても卑屈になっております!笑
自分が認められてないとなると、誰のどんな言葉も受け入れられませんね。
よく「皆同じように苦しんでるよ」とか「みんな頑張ってるんだよ」とか言われますけど、君みたいに輝いてる人に言われてもとか思うわけで。
さだまさしさんも『関白失脚』で
忘れていいけど
仕事も出来ない俺だが
精一杯がんばってんだよ
俺なりに それなりに
なんて歌ってました。この悲壮感ある感じ、とても好きで笑
俺の話とは関係ないですけど笑
自分より上にいる人も、自分より下にいる人も(天は人の上に人を作りませんので、あくまで本人の感覚です)、各々苦しんでいるのでしょう。
しかし、そんなことは知ったこっちゃないのです。自分が苦しいんだから、それはもう大変なことなのです。
上下を意識してしまう理由
先ほどから出ている、卑屈になったり、苦しかったりする、大きな原因は"何かしらに属しているから"だと思います。
何かしらに属しているということは、仕事であったり、スポーツであったり、知識であったり、同じものを持ってる人間が集まっているということだと思います。本が好きとか、野球が楽しいとかね。
ただの好きや楽しいで集まっていればいいのですが、知らぬ間に負けたくない精神が出てくるんですね、負け犬なのに。
そうすると技術や知識を比べてしまって、あいつに勝ったとか負けたとか思っちゃってね。心に良くないのです。
自分なんかは同い年の芸能人見ただけで「この人同い年なのにこんなに売れてるのに、俺なんか…」ってなります笑
"同い年"というものを持ってしまっているから、比べてしまうんですね。
見知らぬ人が一番心に優しい
じゃあどうやって生きてきゃいいんだ。
自分の場合は"他人に優しくすること"で自分を保っています。
他人とは、見知らぬ、奇妙で、得体も知れない、何考えてるかもわからない存在です笑
でも他人は自分と同じグループに属してはいません。
まぁあるとしたら、同じ人間だとか、同じ性別かな?とか、ですかね。
得体が知れないわけですから、比べる情報もないわけです。
その他人に優しくしよう、というのがいいかなと思っています。
他人は一度しか会わず、その一度に1対1でコミュニケーションをしますね。
その一度は一瞬で、ほかの人もいない、二人きりの世界です笑
その他人に会釈をします。
会釈の理由は何でもいいです。「ちょっとどいてくれてありがとう」とか「横通るの失礼します」とか「子供のお世話お疲れ様です」とか「おばあちゃん、腰お大事にとか」。
最悪、「自分の存在に気付いてくれてありがとう」ですね。
これが誰も入ることを許さない一瞬のコミュニケーション。
ほんまもんの一期一会です(一期一会釈?笑)
この一瞬のコミュニケーションは誰とも比べようがありません。
この瞬間の最大値ですから。
たとえ、相手がその直前に、同じようなコミュニケーションをしていても、それはその二人の一期一会であり、こっちには関係ありません。
こうすることで、同じように属す人もいない瞬間的な環境が出来上がり、自分はその一番になれるのです。
ここで気を付けてほしいのは、コミュニケーション相手と比べてはいけないということです。
相手も会釈の達人であるかもしれません。しかし、ここで一番をとるというのはあくまでも"自分の目の前にいる存在に優しくできるか"です。
AさんはBさんに、BさんはAさんに優しくできますが、
AさんはAさんに優しくできませんよね。自分だし。
言っていて、自分でも意味わかんないですが笑
でも、それでいいのかなと思います。
話は変わりますが。
今日の日本は「人情味がない」とか「冷たい」とか言われますけど、そんなのは当たり前のことです。生活様式が変わっております。
文化人類学者のルース・ベネディクト著の『菊と刀』では戦前(江戸時代含め)からの日本人の生活様式と、それによる日本人の理解しがたい性格のヒントが書かれております。
子育てに関しては、他国との比較などもなされていて、興味深いです。
その中で、"ご近所"の密接さがわかるような内容がありました。
今足りていない人情さとか温かみのヒントもあるでしょう。
詳しくは覚えていないのでぜひご一読ください笑
ではどこで現代の冷たい日本を変えられるかといったら、「他人に対する優しさ」だと思います。
普段から他人と接し、優しさを分け合うことが、日本らしく、温かいのかなとか、勝手に思ってます。
そんなわけで。
まとめなんてないです。
思ったことをつらつら書きましたが、最後まで読んでる人はこりゃまた珍しいということで。
こんな稚拙な文を最後まで読み通していただいて、ありがとうございます。
あなたは優しさ界のナンバーワンです(結局人と比べる発言してる~~)
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