【気持ちが違えば結果も違う】③
残念な結果になってしまいましたが、どんなに周りが励ましても自分自身が自暴自棄になってしまい悪い言葉を発していると…
その通りの結末を迎えてしまう。
私自身も『なるほど…』って思えてしまった悲しい出来事でした。
しかし、これだけでは終わらなかったんです。
その後、本当の意味で、これが“潜在意識”なんだ!
ということを目の当たりにしました。
叔父さんの49日の頃でした。
今度は、自分の父親が不慮の事故に遭遇します。
山の中でつまずき不運なことに伐採した竹の切口に背中から落ちて、しかも竹の切口は斜めに伐採してあったので鋭利な刃物と同じです。
貫通してしまいましたが幸いなことに心臓にはギリギリ触れていなく救急車が早く到着したことが唯一の救いでした。
病院に到着した時には、ちょうど担架で運ばれている途中でこれから緊急手術に向かう直前でした。
今でも痛々しく鮮明に覚えています。
心臓にはギリギリですが触れておらずその後も油断は一瞬も出来ない状態で輸血も自分の身体の血は全部入替えており、担当の先生からも血液の拒絶反応が起きるのは間違いなく術後も後遺症が残ると断言されて意識もありません。
術後は個室に入院し、経過を見守ることしか出来ない状況で時間だけが虚しく過ぎていくだけでなにもしてやることはないしなにもしてやれません。
ただただ祈るのみしか出来ませんでした。
その時でした!
『……………』
はっ?
意識のない父親がぶつぶつ何か声にならない声をふり絞りなにか言っています。
よく聞こえないので口元に耳を近づけてみると…
『お・れ・は・し・な・な・い…』
俺は死なないと命懸けで全身全霊つぶやいていました。
父親が本当に本気で言っているのは分かりましたし、この期に及んでもなんという執念だろうかとその気迫には圧倒され身震いさえしました。
その夜
血液を全部入替えた影響のせいか容態が悪化してしまい担当の先生から家族全員を集めるようにご指摘いただきました。
先生は『打つ手はすべて打ちましたが、今夜から明日が山場ですので心の準備をしておいてください。』
テレビで見たドラマのワンシーンみたいでした。
泣きくずれてうずくまる母親は初めて見ました。
私も現実を受け止めることが出来ないというのは、こういうことなんだとボーっとなりうつむくだけでした。
集中治療室に移された父親は人工呼吸器をつけられて瀕死の状態です。
こんな弱った姿を見て悲しいだけでした。
そんな状態が3日続きました。
そんな状態が1週間続きました。
担当の先生から再度、呼ばれました。
『すみません。今夜か明日が山場と申し上げましたものの奇跡的に回復に向かっています。』
『この状態なら軽い後遺症は残るとは思いますが命は助かります。』
またしても…
はっ?
という半信半疑な気持ちでした。
ただその後も日常生活に戻った時に支障がないように麻酔状態と点滴は続きました。
2ヶ月後に、麻酔が切れても良い状態になり意識が戻った時には家族の皆んなに看取られており安心して自分が“生きている”ことに気づき号泣していました。
そしてなんと3ヶ月して無事に退院したのです。
体力は落ちたもののリハビリ代わりに自宅の畑作業をしていました。
(やめろ!と言っても言うこと聞かず笑)
それから退院後の検診に行ったところ…
違う担当の先生がカルテを診て…
『なんであなたは生きているのですか?』
と逆に質問されて答えるのに困ったと言っていました。
それからしばらく落ち着いた頃…
『入院していた時に病床でなにを考えてたの?』
『真っ黒なところに居たんだけどね…』
『その先に明るい光が見えていた』
『絶対に生きて生きて生き抜いてやる!』
って自分に言い聞かせたらしい。
『そしたら真っ黒なところじゃなくなった』
父親は今年で75歳、元気で生きています。
“潜在意識”恐るべし
私も、それから本気で“潜在意識”に問いかけるようになる。
48歳になった私はまだまだですが“潜在意識”のおかげで生活は激変しました。
あの頃の自分では想像がつかないくらい本当に良くなりました。
これからも“潜在意識”フルに使います。