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2024/10/14 おばあちゃんが運ばれた日
月イチのペースで更新してると、さすがに日記という定義を満たしてない気がするのでこのnoteは日記と謳うのやめたほうがいいと思うが、自分の中では意地でも日記ということにしたいので、変わらずタイトルは日付をつける。あたかも日単位で更新してるかのように。
先月あんだけ戒めたのに金遣いの荒さは治まらず、今月ですでに大出費をした。
アルマーニのジャケットを買って、クリーニングに出したらめちゃくちゃいい素材で綺麗だねって褒められた、自分が褒められた訳でもないのに嬉しかった。
遊びたくないムーブメントしていたのに急にフットワークが軽くなって、既に寝床就いたのに遊びに誘いを受けて、秒速で着替えて出発したのもまだ溌溂だなと自覚した。
そんないつもと変わらない日々を過ごしていたけど今日、おばあちゃんが心筋梗塞で緊急手術することになったと母と従兄弟から連絡がきた。
先々月あった時は、認知症とはいえ矍鑠としてたから、突然のニュースに現実味がなく腹落ちできてない。自分のことが誰なのか既に覚えてないけど、自分の家族の一員であることは認知していた。おばあちゃんは何も言わずただ手を握っていた。途端に泣いた時はとても驚いたけど、それでも元気そうで何よりだと思って「またくるね」と言って後にした。まさか、ね。
振り返れば、おばあちゃんは昔からあまり喋らない人だった。認知症が発症する前でもそんなにおしゃべりが好きな人ではなかった。ただ、口に出さなくてもわかる懐の深さと優しがあった。自分の家族には当然優しかったし、住んでいたアパートの近隣の方たちとも仲良くしていてとても人気があったおばあちゃんだった。
小さい頃からよくおばあちゃんの家へ行っていた。毎週日曜日のほとんどはおばあちゃんの家へ行って、会ったことがないおじいちゃんにお香をあげて、おばあちゃんが孫のために録画していたディズニー番組を見ていた。気づいたら夕方になって、おばあちゃんと一緒にご飯を食べることもしばしばあった。
中学の時は定期テストで昼帰りになると、当時は親は共働きだったからおばあちゃんの家で昼ごはんを食べていた。おばあちゃんのつくる肉じゃがが好きだった。夏は決まってそうめんが出ていた。夏休みの宿題が全然終わらなくて家で集中できないときはおばあちゃんの家で勉強していたこともあった。この頃はもうディズニー番組は見なくなって、おばあちゃんの家に謎に置いていたマッサージ機でマッサージされながらニンテンドーDSをしていた。
高校からは引越しもあって、おばあちゃんと会う回数が減った。おばあちゃんの家に行ってもスマホでゲームしていた。ほとんど会話していなかったと思う。昔からおばあちゃんに戦後の話を聞いていたけど小中学生だった自分にとっては知識がないせいで全然頭に入っていなかった。高校の時に改めておばあちゃんから話を聞いて色々衝撃だったことは今でも覚えている。おばあちゃんは壮絶な人生を歩んできていた。
大学は海外へ進学することになってからは会う回数がもっと減った。半年に1回ほど大阪へ帰省する時におばあちゃんの様子を見に行く程度になっていた。顔と名前が一致しなくなっていたと母からは聞いていたが、2年生の冬に帰省した時にはおばあちゃんは自分のことを覚えていなくなっていた。
年齢的にも仕方ないし、いずれ起きることだから自分は分かっていた。「誰かわからない」と告げられた時も素直に受け入れられた。それからは会う度に自己紹介をして、昔の写真を見せて思い出話を聞かせていた。おばあちゃんはずっと静かに笑っていた。
上京しても帰省する度におばあちゃんの様子を見るようになった。実家から歩いて10分ほどあったおばあちゃんのアパートではなく、車で20分ほど走らせた位置にある老人ホームへ顔を出していた。昔話をしても写真を見せても反応しなくなってきていたが、気にしていなかった。頭はボケていても心身健康そうだったから、よかったと思っていた。
生命は有限で、不変なものはない。
日々を大切に。