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K君との日記 #5−1



自殺的思考と私


こんな暗いタイトルで書くことを許してほしい。
でも自分が生きてきた証、そして何より
エゴを見破った記録として書いておきたいと思う。

こないだは、グレートセントラルサンで霊的自殺、
なんて大袈裟なタイトルを書いた伏線回収をしていこうとも思う。
惚気日記とするところだが、自分の中から溢れた気づきを
この流れで書いておきたい。

それは、幼い頃の私がそれに気づいた時に
もう見破って終わっていたのだけれど、
それでも、他にも苦しむ人がいることを知っているから。

もっと他にいいことを書きたい、楽しいことを書きたい。
私はいつも、自分以外の人間になりたい、もっと普通に生きたい、
普通に幸せになりたい、ずーっとそう思ってきた。

でも、気づいた。

私の人生、他に、なんにもないの。
本当に話すこと、これしかないの。
だから、これを書くのよ。

私はいつも私と、私の人々の心配をしている
だけど、一人じゃないのよ。
心配しなくていいのよ。

他の人のことはわからない。
でも、私と、私の人々のために私は書いている。
(書かされている、と言ってもいい)
読んだらね、安心するように書いてあるからね、
もう大丈夫よ。


半ば復讐心で書く


だいたい、腹が立つったらない。

自殺者は成仏できないとか、
この世で苦しんで、あの世でも苦しむとか、なんなの?

しかも、自殺した人の家族はまた心に傷を負って生きるなんて…

私が書くことは、もしかしたら繊細な人には読みづらいかも知れない。

HSPってゆうけど、調べたら5人に一人って、20%ってゆうじゃない?
血液型にあと一種類足した感じ?それって普通じゃない?

とてもとても怖がりな私が、自分の生きる世界を平定した、
これはそんなお話なのです。


明るく見えてもカラ元気


言っておくが、子供の頃から私はどちらかといえば、
男の子っぽくていつも全力でふざけて体を張ってでも笑いをとって、
言い換えれば、「道化師」という役割を演じていることが多かった。

だから、儚げで線の細い感じでもないし、「自殺願望」という言葉自体
私のパーソナリティとは全くの違和感を感じる。


「私のような体験をした人は、ふつう自殺してるのよ」


これは、私の尊敬する魔法使いの師匠の言葉である。

師匠はサラっとそう言った。
私がまだ10代の頃とかにきいた。

それを聞いて、とてもかっこいいと思った。
恐れ慄いてもいた。
師匠と私は「よく似ている」と言ってもらっていたから。

彼女の人生に気安くは入り込みたくないし、踏み込みたくない。
わかるよ、なんて気安く言いたくない。
(彼女が超えてきたものを安く見積りたくないだけだ)

でも、私も真似したいし、私もそう言いたい、
言えるようになりたいと思った。
大袈裟だが、私にはその権利があると思った。

でもそれから、なかなかの長く苦しい道のりを歩くことになった。
でも、もう全部終わっているから、安心してね。


若い頃が一番楽しいなんて嘘はやめてくれ


人生なんて全然楽しくないし、むしろ辛く苦しいことばかり。
生きていることは悲しいこと、辛く苦しいこと。

毎日毎日、何が起きても起きなくっても、
針の筵のような全身の毛穴から針が出てくるような、
まるで大気中に夥しい硫酸が撒かれているような
毎分、毎秒、そんな苦しみ。

のたうち回るような、でも時には、うすーく真綿で首を絞められるような?

心を投げ捨てれたらいいのに、と何度も願う。
苦しみを感じる心を捨てれば、その代償として
喜びも感じられないのかもしれない?
(味覚障害みたいなもんかな?)

でも、割合的には苦しみの方が多いので、
それはだいぶん割の良い取引のように思える。
だけど、その方法がわからない。

心は、扁桃腺や盲腸のように、不都合だからって、
切り捨てることはできないの…?

できることといえば、毎日毎日、目が覚めると、
「今日一日、気を失っていたい、何も考えたくない、感じたくない」

それが私の一番のお願い事だった。
幸せになりたい、なんて願うことすらできなかった。

ただこの苦しみが少しでもなくなるように、
プラスなんて、幸せなんて望まないから、
せめてマイナス、苦しみがゼロにでもならないかなー、
それが私の唯一の願い事だった。

幸せになる可能性がある、ということすら望めない、
それを望むこと自体無理、
だから、幸せになれる、苦しみが減る、
私が生きているうちにその可能性がある、
せめて、そう思えるようになりたい。
安直な表現で言えば、毎日が地獄だった。

なんて遠回りで自己卑下が強くて、謙虚なお願い事なんだろう…


死ぬ死ぬ詐欺なんてどこで覚えたの?〜記憶力が良すぎる私の遺伝子たちよ〜


私がその「自殺的思考」に気づいたのは、確か5−6歳の時だったと思う。

お母さんとお父さんが喧嘩した時。
お母さんは気性がとても激しい人だけど、優しいお父さんとバランスが取れていて、毎日喧嘩するなんてなかったから、たまたまその日の喧嘩の印象が強く残っているだけかもしれない。

居間で大きめの喧嘩をしていた両親の間に入って、
「喧嘩しないで!じゃないとわたし、死んじゃうから!」
と叫んで止めに入った。

幼いながら「オイオイ、なんかなり切ってるなー」とも思った。
自分自身で、子供っぽいそのクサイ言葉に少し照れながら、

「あらッ?んまー、この子ったらどこでそんな言葉を覚えたのかしら?」

自分の子供がおままごとで、ふだん自分(お母さん)の言ったセリフをそのまま真似しているのをみて、「子供って親のことよく見てるわよねー、油断できないわ!」なんてゆう会話を聞いたことがある。
まるでそんな気分だった。

そう。でも私はまだ5−6歳。

なぜそう言い切れるかというと、
私は小学校一年生の終わりに、家の建て替えで引っ越しをしたのだが、
その喧嘩は古い建て替え前の家で行われた情景をはっきり覚えているからである。

『この子ったらどこでそんな言葉を覚えたのかしら?』
後付けの記憶かもしれない、でも私にはそう感じられた。

まだ生まれて5−6年の子供がそんな言葉を口にする、
確実にどこかから覚えてきたに違いない。
どこで…? 私にはそれが不思議だった。

でも、それが自分自身からきたものではないことを
何となく感じていた。

自分自身を人質にして、交換条件を飲ませようとする、
これって、そういうことだろう?

その瞬間に私は、自分自身と自殺的思考を分離できていたのだと
今になってはっきり思う。
そうか!

それはどこか、遠く遠く、人類の記憶なのか、
遺伝子なのか、自分以外のものから来たような。

後付けなのかもしれないけれど、
いつからかそんな風にその時のことを思い出し、
考えるようになった。

そうそう、私はとても記憶力がいいらしい。

「あんたが記憶力がいいのは、おじいちゃんに似たのね」
お母さんはよくそう言っていた。

いつか読んだ記事で、
「1gのDNAに10億テラバイト近くのデータを保存できる」って言ってたっけ?
それって、家にあるHDDが2TBだから…、
うーーーん、よくわからない…?

私はきっと記憶力がいいんだ、良すぎるのかもしれない。
うん、だからきっと、こんなにたくさんのことを思い出しちゃうんだな。

納得。
(納得できるかい!)


ー#5−2につづくから読んでねー


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