キリスト教学校に多様な事務職員が不可欠な理由
事前アンケートの結果によると、参加者の約7割が各校からの業務命令で、自分の意志とは関係なく参加したという事務職員夏期学校。個人的には2018年、19年以来5年ぶり3回目となる参加でしたが、毎度のように最終日に得られる充足感に引き換え、無味乾燥なプロモーションで、モチベーションが低いまま参加者が集まらざるを得ない現実はとても残念に思います。学期末の多忙さを押して日常の雑務から離れ、わざわざ山梨の奥地に3日日間こもるわけですから、当然、相応の収穫が期待されて然るべきです。
「キリスト教学校で事務職員として働くとは?」という毎年代わり映えのしない主題で、自主的・能動的に参加したいと思う職員は稀でしょう。そもそも、仕事の一環として義務づけられた「研修」で講演の中身などには何の期待もないのかもしれません。その予想を良い意味で裏切り、「聞いてよかった」「参加してよかった」と思ってもらうのが私たち講師に与えられた最重要任務だと肝に銘じて臨みました。
参加した事務職員の8割以上がノンクリスチャン。約3割は、就職するまでキリスト教に一切、接点がなかったという中で、まずはキリスト教について抱いていたイメージを聞きながら、それが就職してどう変わったかについて意見を聞きました。自身がキリスト教学校の出身という方々は概ねイメージ通りという答えが多く、また「排他的で他宗教を受け入れない」「神聖で近寄りがたい」「真面目で堅苦しい」というネガティブなイメージを持っていた方も、実際に働いてみたら意外に「寛容で信仰や礼拝を強要されない」「初心者にも広く門戸が開かれている」などの反応が見られました。
一方で、「思ったよりキリスト教色が薄い」「クリスチャンの教職員、学生が少ない」「仕事上、お祈りや賛美歌に触れる機会がない」といった意見もありました。同じキリスト教学校の事務職員でも、学校や部署によってかなり環境は異なるようです。
教会と同様、同質性の高いコミュニティにこそ第三者の存在が欠かせません。キリスト教学校にクリスチャンではない立場で勤務する意味、保護者でも教員でもない事務職員の存在意義は決して小さくありません。クリスチャンもノンクリスチャンも、教員も事務職員も対等に協働できる職場環境、そして立場がどうあれ「置かれた場所」を省みつつ、応対する学生、業者、保護者らに寄り添った「他者の靴を履く」訓練と、本音を共有できる信頼関係を築くことが重要でしょう。
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