親子でわかる実録童話1「まちのボクシといなかのボクシ」
むかしむかし、あるところに、〝まちのボクシ〟と〝いなかのボクシ〟がおりました。――この物語は、今回の取材で得られた複数の証言をもとに、再構成してお送りする実録ストーリー。あなたの身近にありながら、本当は知らないボクシたちのセカイへ、ようこそ。
このお話に出てくる人
・まちのボクシ
・いなかのボクシ
・べてらんボクシ
ある日、いなかのボクシが住む村に、まちのボクシがたずねてきました。
いなかのボクシは、おおよろこびで学生時代の友だちをもてなしました。いなかのボクシが住む家は、古びた教会のとなりにありました。
「やあ、よくきたね。この村には、おいしいものがたくさんあるんだよ」
いなかのボクシは、教会の庭でとれたばかりのトマトやきゅうりをならべました。それから、教会員にもらったお米をたき、お魚をやいてふるまいました。
ごはんを食べ終えると、二人は自家製ジュースをのみながら、おしゃべりをはじめました。まちのボクシはいいました。
「この家はだいぶいたんでいるようだけど、なにかこまっていることはないかい?」
「ぼくもはじめはびっくりしたけど、住んでみればなれるもんだよ。教会も近いから、なにかとべんりだしね」
「近いというか、となりだろ? 教会員の出入りがあって、休まらないんじゃないか?」
「まぁ、家族がいるわけじゃないし、ぼく一人ならどうにでもなるよ」
「そろそろたてかえたらどうだい?」
「そんなお金どこにあるんだよ。それに、ぼくの家じゃなくて教会のもちものだから、がまんするしかないんだ」
まちのボクシは、それいじょうなにもいえませんでした。
「しかしきみは、こんないなかでよく元気でいられるなぁ。これじゃ、体がなまっちゃいそうだ。いいかい、わかいうちはもっといそがしい教会ではたらかなくちゃ」
いなかのボクシはこたえにつまりました。たしかにまちのボクシがいうとおり、村のくらしは少したいくつすぎると思っていたからです。
「しずかなところでのんびりするのもいいもんだよ」
といってはみたものの、いなかのボクシはこの村にきたばかりのころを思い出していました。
神学校をそつぎょうして、やる気にあふれていたいなかのボクシは、「教会のためならなんでもやるぞ」といきごんでいました。
でも、いざボクシになってみると、まかされたのは教会の「お世話がかり」でした。聖書を読んで説教のじゅんびをしていると、「勉強ばかりしてないで、にわの草むしりをしてくださいな」といわれました。
そこで、「村のみんなに伝道しましょう」と教会員によびかけてみました。するとこんどは、「伝道はボクシの仕事。わたしたちはいそがしいから」といわれてしまいました。
なにも期待されていないとわかったいなかのボクシは、ありあまるエネルギーをほかの仕事にそそぐようになりました。友だちのボクシも近くにおらず、だまっているとどんどん孤立しそうになるので、なるべくボクシたちが集まるべんきょう会に足をはこぶようにしました。
まちのボクシはいなかのボクシにいいました。
「まちにはもっとおいしい食べ物や、たのしいことがいっぱいあるぞ。こんど、うちにあそびにきてみないか?」
いなかのボクシはまよいましたが、まちのボクシがあまりにつよくすすめるので、いってみることにしました。
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