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最後の「編集後記」

(2022年冬「Ministry」第50号掲載)

敬愛するジャーナリストの筑紫哲也氏が亡くなった2008年。雑誌編集においてはド素人だった一記者が「名ばかり編集長」となり、創刊準備号の「編集後記」にこう書いた。

「今日、キリスト教会にとっても、出版社にとっても決して順風満帆とはいえない厳しい状況が厳然とある。しかし、危機こそ好機」

半ば自身を奮い立たせるための気休めだったかもしれない。翌2009年に創刊。当面の目標だった3年、12号の最後にはこう書いている。

「スタッフにとっては辛く苦しい3年だった。経験のない未熟な編集長と、専門書店以外に販路を持っていなかった会社、限られた予算と人員」
「『右からは左』、左からは『右』と非難されることを誇りとするような、『ホネ』と『本音』のある雑誌を作りたいと願い続けた」

10年目を迎えた40号では、「見える景色が変わったかと言えば甚だ心許ない」とも吐露している。

次号で最終号となる本誌を手にした知人の牧師が、「なくなってしまうのは惜しい」とつぶやいた。「ネット界隈での活動が製本された誌面に載ることで、ネットに接点を持たない高齢信徒らにも正規の『仕事』として認めてもらうことができていたのに……」と。

確かに、編集部が発掘して誌面に登場していただいた若手牧師や執筆陣、奇抜な取り組みは、おそらくリアルな教会や教団・教派、神学校では評価されにくく、日の目を見なかったものばかり。特にデジタルネイティブにとっては「新しい信仰様式」を表現することができる数少ない媒体だったかもしれない。残された役割は何らかの形で継承したいと願う。

「Ministry」創刊当初の野望は新たなフェーズに入った。またぜひ違うかたちで皆様にお会いできることを楽しみに……。(まつたに・しんじ)


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