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回らない寿司屋に行って、握りの味よりも店員さんのおもてなしに驚かされた話

銀座で寿司を食べてきた。ザギンでシースというやつだ。もちろん、回転寿司ですという下らぬオチではなく回らない寿司である。割引で食べられるため行ってきたのだ。

訪問したお店は都内に銀座以外にも他の店舗を構えているため、日本海のような少し高めのチェーン店だと私は判断した。だから、あまり期待しないで行ったのだが、その認識は大いに間違っていた。

想像以上に格式高いお店だった。事前の口コミにリーズナブルとあったのだが、あくまでも銀座の寿司屋の中ではリーズナブルであるということである。つまり、高い水準のサービスを安価に受けられるということだ。

飲食店でお店の人に上着を預ける、お手洗いの場所を板前さんに尋ねると案内してもらう、握りが一貫ごとに出され産地の説明までされる、ガリは平べったいのではなく塊を切断したものが出される、帰り際には店員さんがエレベーターを呼んでおいてくれて扉が閉まるタイミングで深々とお辞儀されるといったように、普段は出来ないような体験を私はした。もっとうまく感動を伝えられる言葉が存在する気がするが、このようなことしか出てこないのがもどかしい。

これが世界から賞賛された日本の接客かと唸ってしまった。なんというか、その寿司屋にいる間は自分がとても偉い人間であるように感じられた。実際は客にそう思わせる店側の手腕がすごいのだが、細かいところまで配慮が行き届いているが押し付けがましくないという絶妙な塩梅でこちらをもてなしてくれるのである。

そういったサービスは、こちらも気分がいいのだが、これが当たり前になってしまったらと考えると少し恐い。とても、傲慢で嫌な人間になってしまいそうだ。

と、ここまで寿司の味に触れずに、お店のサービスの話しかしなかったが、もちろん寿司自体もおいしかった。ただ、11巻のコースだったので、満腹にはならなかった。本音を言えばもっと食べたかった。しかし、お金がないため我慢するしかなかった。贅沢な寿司を好きなだけ食べるのは社会復帰してお金を稼ぐまではお預けである。

美味しいものを満腹になるまで食べられないというのは拷問に等しい。


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