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#012 「アメリカは正義」が大嫌いだった

とても迷いましたが、書きます。

小学5年生のとき、
友だちのM君とわたしは、固い約束をしました。
「今度また戦争が起こったら、オレたちは特攻隊員とっこうたいいんになろう!」

ガキんちょのごとだと思われるかもしれませんが、
M君とわたしは、きわめて真剣だったし、
ふたりにとっては大真面目な約束でした。

わたしが生まれた昭和45年(1970年)は、
終戦から25年がっています。
てか、まだ25年しかっていない時代なのです。
戦争の生き証人たちが、日本社会の中心にいた時代です。

わたしの祖父(すでに他界たかい)は戦地に行っています。
親戚の中には、戦地で亡くなったひともいます。
両親(すでに他界たかい)は国民学校に通った昭和9年(1934年)生まれ。
空襲警報が鳴った際は、防空壕ぼうくうごうに逃げ込んでいた世代です。
母は、幼い妹や弟の手を引っ張って、
田んぼの中を走って逃げた経験もあると言っていました。

だからわたしは、特に子どもの頃、
周囲の大人たちから戦時中の話をたくさん聞いています。

わたしがまだ一桁ひとけたの年齢の頃(1970年代)は、
名古屋駅前に、
戦地で片腕や片足を失った傷痍軍人しょういぐんじんの方がいました。
白い着流し姿で地ベタに座り、その前には寄付箱が置かれてありました。

テレビでも、不発弾発見&処理のニュースが結構ありました。

そのテレビや新聞(いわゆるマスコミ)をはじめ、
自称じしょうかしこい大人たちや、学校の先生も、
「侵略戦争を始めた日本が悪い」
外地がいちで日本軍が悪いことをしていた」
そうした日本の悪い部分をクローズアップした話ばかりを、
当時の子どもたち(わたしたち)に教えていました。

逆に一般庶民である身近な大人たちからは、
「戦争はもうイヤだ」という話はよく聞きましたが、
「どちらが悪い」とかの責任追及の話については、
一度も聞いたことがありませんでした。

記事冒頭のM君とわたしは、
「日本も悪い。だけどアメリカも悪い」と思っていました。
しかし、おえらい大人や、自称じしょうかしこい大人は、
「アメリカも悪い」という発言をしてくれませんでした。
敗戦国である日本と日本人は、
「アメリカも悪い」と言ってはいけない雰囲気があって、
「戦争が悪い」という言い方をしなければならない。
M君とわたしは、それがとてもくやしくて、情けなく思っていました。

戦争を始めたのは、日本です。
理由はどうあれ、
「勝つための戦争」を始めて、
形勢けいせいが悪くなってからは、
「負けないための戦争」に変わり、
末期にはもう、
「国土と国民を守るための戦争」になっていました。

昭和20年(1945年)3月10日、東京大空襲。
その約2週間後の3月26日から、沖縄戦。
沖縄をたて人身御供ひとみ‐ごくう)にした、
きわめて許しがたい日本軍の戦略が、沖縄戦です。
そして同年8月6日と8月9日には、
広島と長崎に原爆を投下されました。

「もっと早く降伏こうふくすればよかったのに」
「そうすれば多くの犠牲ぎせいを払わなくてもんだのに」
いまだにそんな軽はずみな発言をする大人がいたりします。
でも、それは仕方ありません。
学校教育でちゃんとした授業を受けていないからです。
近現代史の授業は、3学期にサラッと教科書をなぞるだけ。
わたしの学生時代(80年代)もそうでした。
いまどきは、
ちゃんと議論を交えた授業をする学校もあるかもしれませんが、
少なくともわたしが通った小中高では、
アンタッチャブルな雰囲気があって、サラッサラッとした授業でした。

日本から遠く離れた戦地で命を失った兵隊さんたち、
日本にいて空襲(爆撃)で亡くなられた軍関係者の方々と、
そしておびただしい数の一般市民の方々。
そうした多くの犠牲を払いながら、
ギリギリまでねばり続けたからこそ、
日本と日本人は「ヤバい国・ヤバい国民」だとアメリカに思われたのです。
「日本人は我慢強い国民」ではなく、
「日本人はイカれた国民」だと恐れられたのです。
そんな日本と日本人だからこそ、
屈辱的な植民地にされることなく、
終戦から約7年後の昭和27年(1952年)4月28日、
占領統治からの独立(主権回復)につながったのです。
(植民地支配をされずに済んだ、あくまで一つの要因です)

ちなみに、わたしが他所よその国の人間なら、
ぜったい日本と日本人を敵に回したくありません。
自決じけつする国民」「特攻とっこうする国民」って、恐ろしいです。
「大規模な市民爆撃を繰り返しても降伏こうふくしない国民」
「広島に原爆を投下しても、まだ降伏こうふくしない国民」
かなり恐ろしいです。
長崎への2発目の原爆投下後に、
天皇陛下が「もうおしまいにしましょう」と決断しなかったら、
どんなことになっていたのか?
正直分かりませんし、想像したくもありません。

先の戦争については、
日本は悪いです。しかしアメリカも悪いです。
どっちが先後さきあとじゃなく、どっちの方がより悪いとかでもなく、
「日本もアメリカも悪い」とM君とわたしは思っていました。
そして、どうせいつかまた戦争が始まる。
どちらが先に仕掛けるのかは分からないけれど、
きっとまた戦争を始めるに違いない。
そしてまた「国土と国民を守るための戦争」になると思っていました。

だから、M君とわたしは、
「今度また戦争が起こったら、オレたちは特攻隊員とっこうたいいんになろう!」
そんな固い約束をしたのです。

M君はどうだったか分かりませんが、
わたしはその頃「アメリカは正義」が大嫌いでした。
音楽や映画など、アメリカンカルチャーのシャワーを浴びて、
オシャレなライフスタイルへの憧れはありました。

誤解されては困るので、ちゃんと言います。
アメリカという国が嫌いとか、アメリカ人が嫌いな訳ではありません。
「アメリカは正義」が大嫌いだったのです。
アメリカ人の言動に少なからず影響を及ぼしている、
この「アメリカは正義」という妄想もうそう
外交の現場でも、アメリカ企業との交渉現場でも、
「アメリカは正義」由来ゆらいの「アメリカこそが正義」を押しつけてきます。
いまだに「原爆投下は正しかった」がまかり通っていたりもします。
沖縄県では、昨今また米兵による性犯罪が増えているにもかかわらず、
大きな問題として扱ってくれません。
バイデン氏の健康問題なんてアメリカ国内の話で、正直どうでもいい。
「米兵による性犯罪増加について」
大キャンペーンをって徹底的に追究してほしいのに、
左寄りの報道機関でさえ、サラッとフワッと報道。

戦後79年(約80年)もつのに、
やっぱり日本は「まだ敗戦国」を実感します。

先日、YouTubeでアメリカ人のリアクション動画をました。
「ゴジラ-1.0」で、ゴジラが熱線をき、
大爆発して巨大なキノコ雲が立ち上がるシーン。
日本人のわたしは、そのキノコ雲に、
どうしても広島と長崎に投下された原爆を重ねてしまい、
ただただ恐怖なのです。
ところが、その動画のぬしであるアメリカ人は、
「ワオ!」と言って、笑っているのです。
わたしはその様子に、激しい怒りを覚えました。

広島や長崎にゆかりのある方なら、わたしと同じように、
恐怖と怒りの混じった感情を覚えると思います。
若い世代の方々は、
わたしほどの恐怖や怒りを覚えないかもしれませんが、
巨大なキノコ雲に「ワオ!」と言って笑うアメリカ人に、
心地いい気はしないでしょう。

M君とわたしとの固い約束。
「今度また戦争が起こったら、オレたちは特攻隊員とっこうたいいんになろう!」
すでに50代のオッサンになってしまったわたし。
この約束のことを、決して笑い話なんかにはできません。
笑えるところが1ミリもありません。

1980年代のこととはいえ、小学5年生の子どもたちが、
特攻隊員とっこうたいいんになることを決意」なんて狂っています。

いまでも世界のあちこちで戦争や内戦が起きています。
てか続いています。
きっとそうした国々では、
「大切な人たちを守るために命をかけて戦う」
そんなセリフを胸って宣言する子どもたちがいるはずです。
彼らはぜんぜん勇ましくなく、
当時のM君&わたしと同じく狂っています。

連合国軍最高司令官 ダグラス・マッカーサーは、
アメリカの勝利後(日本の敗戦後)、
日本人のことを、
「アングロ・サクソンは45歳の壮年そうねん
「日本人はまだ12歳の少年である」と表現しました。
この「日本人12歳論」については、
いろいろなひとが、いろいろな解釈をされています。
わたしは、
ややこしい思春期の入り口の12歳は、
ろくでもないことをしでかす危険性がある。
でも、教育の仕方次第では、どうにでもける。
そんな解釈をしています。

正直、一度書いた内容をかなり削除しました。
言いたいことの半分くらいしか、この記事に残していません。
結論的な内容も、しっかり削除しました。

なぜなら、
生まれ育った時代・場所によって、
歴史観は、ひとそれぞれ異なるからです。
多くを語れば語るほど、いろいろな誤解をまねきかねないし、
自称じしょうかしこいひとからの、
アタック(攻撃)を受けるリスクが高くなってしまうからです。
(レシーブするのが、マジでめんどくさい)
何よりも、
小学5年生の頃のM君とわたしを否定されたくありません。

ちなみに、
わたしのペンネーム「マッカーサー」は、
「松川さん=マッカーサー」で、単なる空耳です。
なにがしかの歴史観あっての、ペンネームではありません。


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