「みんな我が子」と大園桃子
舞台「みんな我が子 -All My Sons-」を見た。
心に強く刺さり、観劇後は、日常の思考ができるようになるまで時間がかかるような(例えば、どのカフェに入るか考えられず彷徨ってしまうような)、あるいは何となくずっと辛い感覚に襲われるような、面白い作品だった(私はそういう感覚になる舞台が好きだ)。
しかしそうやって心に刺激を受けた時に連想されるのが、大園桃子のことである。
この作品の主人公ジョーは、経営する工場の利益を優先するがあまりに罪を犯し(戦闘機の不良部品を納めて21人の兵士が死ぬ原因を作り)、しかしそれを「我が子のために行った」という理由で正当化している。ジョーの主張は確かに間違っているのだが、その思考には理解できる部分もあり、その人柄も魅力的に描かれている。私自身、ジョーに共感する点も多かった。
一方で、2020年1月13日放送の「世界まる見え!テレビ特捜部」¹では、コカイン1kgを飲み込んで密輸しようとした男が、空港の税関に捕らえられる模様が放送された。男は「仕事をクビになって、家族を養うためについ」と動機を述べるが、それは言い訳にしか思われず、傍目にはただの犯罪者に映る。
しかしそのVTRを見た大園桃子は、「自分が捕まることって、家族のためだったらできるんだって思ったら」「自分が危険にあってまで、家族を守りたいんだなって」と発言して涙ぐむ。
それはVTRの趣旨とずれた観点だが、しかし私は、彼女の発言を通して、その観点が存在したことに気付く。私であれば「それが意図して作られた演劇作品」を見ることでしか感じられないような観点を、彼女は「それが意図されていない世界」の中に見出し、私に教えてくれる。
その時、大園桃子は演劇作品と同じような役割を果たしている。彼女の発言には、そういうものが多い。彼女は、そうやって私の心を良い風に刺激してくれる存在なのだ。(その時私は、別に神妙な表情をしている訳ではない。「変なこと言うなあ」と笑っている。ただし心に、何かが残った感覚があるのだ。)
大園桃子がそういった観点に気付けるのは、想像力が豊かだからであろう。どんな立場の人にも寄り添って考える。その感性の鋭さを感じさせるエピソードが、BUBKA 2020年4月号²に記されている。
「みんな我が子」の主人公ジョーは、物語の最後に息子の遺言を読んで、死んだ兵士も「みんな我が子」だったのだと自らの罪の大きさに気づく。
一方で上述した大園桃子の発言は、彼女が、世界の全ての人間・いのちを「みんな我」と捉えて生きていることを表す。
責任を持つ対象の象徴である「我が子」と、「我」そのものでは若干のメッセージ性の違いはあるものの、しかしここでも、大園桃子は演劇作品と同様のメッセージを届けてくれる刺激的な存在だ。
さて、こんな文章を書いてしまう私は、大園桃子のことが好きすぎるようである。客観的に見た場合、私が冷静なのか、まっとうなことを言えているのか、全く分からない。ただ私にとって、大園桃子はこんな文章を書かせる存在なのだ。これはそういう「好き」なのだ。
私と同じく(と言ってしまうのはあまりに失礼かもしれないが)、大園桃子を崇拝している久保史緒里は、EX大衆 2021年10月号³で、このようなことを言っていた。
同じ乃木坂46メンバーである久保史緒里と、ただのファンである私では立場も全く異なるのだが、しかしこの発言は全く同感だ。
ただし、私の場合は本人にそれを伝える術をほとんど持たない。でも、万が一にも、このnoteは読まれたくはないような気がする。「まったく響かない」どころか、気持ち悪いであろうからだ。勝手に崇められていて、気味が悪いだろう。
だけど、この気持ちを、インターネット上のどこかにいる誰かに共感してもらいたくて、書いた。私はこういう思考回路をしているから、桃子ちゃんが乃木坂46を卒業してしばらく経っても、一向に新しい推しメンができる気がしないのです。
参考
「世界まる見え!テレビ特捜部 2時間SPおめでたい奴ら大集合!乃木坂46が号泣」日本テレビ、2020年1月13日放送
「BUBKA 2020年4月号」白夜書房、2020年2月29日発売
「EX大衆 2021年10月号」双葉社、2021年9月15日発売
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