『魂の系統』の循環
祭神の物語
あるところに活動体がおった。
活動体は、お気に入りの岩のうえからふもとの村の人々のようすをながめるのが好きだった。
あるとき、村の男の一人が岩にいる活動体に気がついた。
「岩に神様がいらっしゃるぞ。」
そこで男は、神様の為に祠をたてた。
「岩の神様、村をお守りください。」
男は祈った。
時は流れ、村では稲作が始まった。
稲作を始めた村人の一人が、
「岩の神様の祠を摂社に移して、お稲荷さんを祀りたいのだが、どうだろう。」
と、村人に提案した。
村人はみんな賛成し、伏見の稲荷から勧請することになった。
そして、岩の祠は稲荷と呼ばれるようになった。
しかし、あいかわらず同じ活動体が見守っていた。
時は流れ、戦の時代となった。領主となった男は、
「八幡を祀りたい。」
と思った。そこで、
「稲荷を摂社に移して、八幡を祀ることにする。」
と村の者に触れを出した。
そして、稲荷は八幡と呼ばれるようになった。
しかし、あいかわらず同じ活動体が見守っていた。
活動体は思った。
「名前がすべてだ。」
祭神の物語 完
名前
名前とは、属性の和声の異名である。
名前とは、交流の束縛の異名である。
名前とは、観念の共有の異名である。
名前とは、表現の拡散の異名である。
名前とは、技術の固着の異名である。
名前とは、段階の計量の異名である。
名前とは、体験の統合の異名である。
名前 完
異名
人間の世界では、同じものに別の名前をつけることがよくある。
また、同じものにわざわざ別の名前をつけることによって、別のものであるというふりをする。
異名は、この「ふりをする」ための道具である。
生まれ変わりのふりをする。
神のふりをする。
仏のふりをする。
宇宙人のふりをする。
すべては、同じ活動体の活動である。
異名 完
別名
別名とは、異名の選択である。
別名とは、異名の感動である。
別名とは、異名の奉納である。
別名とは、異名の栄光である。
別名とは、異名の昂揚である。
別名とは、異名の神話である。
別名とは、異名の奇跡である。
別名 完
匿名
『魂の系統』では、宇宙人たちの一部は名を名乗らない。名を名乗らないどころか、姿も現さず一方的に交流しようとしてくる。
匿名での交流とは、実は彼ら宇宙人の文化である。
地球人の文化は、顔を合わせる文化と思うのだが、どうだろう。
匿名 完
存在の名前
『魂の系統』では、最も源泉に近い存在として「存在」の名が記されるが、我々の活動する世界のみなもととしての名前であって、さらに上位の存在の世界における別名「А★」を持っていることが、『魂の万国博覧会』を記す中で明らかになった。
存在の世界は、まだまだ奥が深い。そして存在を超える世界は果てしない。
存在の名前 完
証明
『魂の万国博覧会』において、証明についての記載がある。
『三次元地球では、人との交流には言葉が必要です。
ありとあらゆる物事について、言葉でのやり取りが必要です。
このためには、
体験について名前を付けること、
二つの体験の関係について名前を付けること、
という二種類の名付けが必要です。
証明とはこのうち、
二つの体験の関係について名前を付けること
と同じことなのです。』
証明 完
〆
この文章は、『魂の系統』で登場する種々の名前、異名、別名について考察したものである。
『魂の系統』の理解の一助のために記す。
三次元地球の余韻のときに記す。
〆 完