お葬式における音楽の意義
先日、お歌が大好きな方のお葬儀で歌わせていただきました。
合唱を何十年もされていて、その中でも大好きな歌が
「落葉松」
という小林秀雄さんが作曲された名曲です。
静けさの中にある力強さを表現されているように思います。
ボイストレーナーとして、何度かその方のお部屋でレッスン・・・というよりも、懐かしい歌を一緒に歌わせていただきました。
30分程度でしょうか。
涙を流されることも多く、音楽によって様々な記憶が呼び起されてなつかしさを感じられていたのだと思います。
そして、そばにいらっしゃったご家族様と、その時のことをお話される姿も印象的でした。
癌を患い、長く闘病生活を送られていました。
何とか元気になってほしい・・・というご家族様のご依頼によりボイストレーニングがスタートしました。
そして、天国に召される2週間ほど前の最後のレッスンで歌った、ラストソングが
「落葉松」でした。
その時は、お話することも殆どできず、歌うことも難しい状況でした。
「歌いたい」でも「苦しい」そんな葛藤を感じました。
私はなるべくいつも通りに、でも慎重に行いました。
表情をよく観察し、何を求めてらっしゃるのか・・・
汲み取れたかは正直わかりませんでした。
そして、2週間後にご家族の方からご連絡がありました。
「母が眠りにつきました。お見送りの際に歌ってほしいです」
と。
他の仕事があったものの、私はすぐに首を縦に振りました。
歌ってほしい、そういわれた時から曲は「落葉松」と思っていました。娘様も同意のようでした。
キリスト教のお式だったので、場にはふさわしくないかなと思いましたが・・・大切なのは場に合うかどうかではなく「故人様」にとって「ご家族様」にとって、大切なものであるかどうかでした。
そうと決まれば、練習です。
ピアノを弾きながらとなると、歌に支障がでるので、今回はピアノは音源を作成しました。
献花の際に歌うことが多く、空気のようなBGMではなく、かと言って芸術としての音楽でもなく、非常に音楽との距離感が難しいのがお葬儀での
歌唱です。
その場に行ってみないことにはわかりません。
ですので、様々なことを想定して練習します。
当日は、少し早めにいってお打ち合わせを簡単にし、そしてお式の40分後くらいに歌わせていただくこととなりました。
入ってから、会場の雰囲気や天井の高さ、響き具合を確認します。
そしてお式が始まってからは、ただ心穏やかにお見送りの心を整えます。慣れないキリスト教のお式だったこともあり、どことなく緊張感が会場にはありました。私自身も。乾燥している感じはなかったのですが、私自身は喉がからからになっているのを確認しました。
「大丈夫かな」
と不安ではありました。
しかし、自分で言うのも何ですが・・・プロ根性とでも言いましょうか。
スタンバイする時にはそんな事はすっかり忘れて喉も絶好調になるものです。不思議なものです。
献花がスタートすると同時に、前奏。
そして、ご家族様が花を添えながら言葉をかけられます。
これまではかしこまった儀式ということもあってか、涙を流される方は殆どいらっしゃいませんでしたが、献花がスタートし多くの方が涙を流されました。
よかった。
その涙が何によって起こされたのかはわかりません。
でも、ここまで張りつめていた思いが、溢れてきたことには間違いがありません。
少しでも、「感情」を表現できるお手伝いができたのではないか・・・と思います。
音楽は脳の古い部分にまずはアプローチします。
記憶や情動といった場所です。(言葉はもっと後です)
記憶や情動を音で刺激し、理性がある新しい脳の部位はもはや追いつかないでしょう。
「この音楽を聴いて!」という音を奏でるのはふさわしくありません。
あくまで、この音楽が「受け取った人のもの」であるように。
私は静かに。でも丁寧に、音を紡ぐように意識します。
それでも、ついみなさんの涙を見て感情が溢れそうになることもあります。
これほどまで、音楽をしている意味を感じることはありません。
誰かを癒すとか、届けるとか、そういったこと以上に・・・
音楽が力を発揮するような。音楽が生きているような。
そんな感覚になります。
あくまで私が奏でる音楽ではありますが、しっかりと私から離れているようにも感じるのです。
こんな時に思うのです。
音楽をしていてよかった、と。
聴覚は最後まで残ります。
きっと故人様にも届いています。
そして、ご家族様にとってもこの音楽が「故人様」がそこにいるかのように感じてもらえていれば。