社会通念「感謝」≒満足感 宇宙的「感謝」は人生、一度 クレアボイヤンスより
「感謝」について、私の貴重な体験を交えて書いていきます。
一般的な
「ありがとうございます。」または「感謝します。」は、
実は、感謝でもなんでもないんですよ。
そのお礼に似た表現は、「満足感」ほかならない。
気持ちとしては、「宇宙の計らいに満足しましたよ。」
これをみんなは「ありがとうございます。」といってるだけなんですよ。
(これはこれでいいんですよ。。ただ、感謝とはちがう)
もしかしたら、
多くの日本国民は「感謝」を知らずして、
生きているかもしれません。
もしくは、
「感謝」を学ぶ体験をプレゼントされたとしても、
学ばず、肉体的浪費に勤しんでいる方も多いことでしょう。
私は「感謝」というものについては、こういうモットーがあります。
「人生において、感謝を学ぶのは一度。
個の消滅のとき」
宇宙の法則で、すべてにおいて、作用反作用があります。
神様がこの子も期が熟したということで、
「感謝」の気持ちのエネルギーを学んでほしい、
そのエネルギーを取り入れてほしいというとき、
同等のマイナスエネルギーからの体験を味わってもらいます。
何のエネルギーを神様から放り込まれるか。
それは「絶望」や「失望」や「孤独」
これ、「絶望三点セット」→「絶望sunset」と呼ぼう
このようなものをぶっこまれて、
「絶望sunset」からのプラス転化で、「
感謝」のエネルギーをやっと取り入れることができるのです。
ここでうまく取り入れられなかった子は、宇宙にお帰りになるという、
全然安全とはいえない学びの場なのですよ。(魔の27才神審判)
わたしの体験をここで交えますね。
27才のときに、きましたよ!壮絶な「絶望sunset」
もう、食べることも眠ることもお風呂に入ることも、
なにも許されないという絶叫
おのれの人生を恨み、この世のすべてに嫌悪感をもって、
出しきるという、
それは内面的世界の崩壊
「あ!私の今までの世界、消えた!」とわかります。(←精神的なタナトス)
これで個の世界抹消
ここで、クレアボイヤンスが登場
出産より過呼吸になっている状態で。
目に見える風景とちがって、
「感謝」という文字がホログラムみたいに
浮き上がってくるんですよ~~~~。
どこから?
厳密には、わかりません。
脳裏に。。。直です。
テレビの画面が黒っぽくて、そこに白浮きの文字が出るような感じです。
効果音は「ぼわわわーん」と、
「感謝」という文字がクローズアップされるような。
誰もに紹介できるようなはっきり、くっきりした形ではありません。
「の、ような気がする」。。。。というので、
気のせいといわれれば、
そう済ませることができるイベントです。
「あ、私は自分のことばかり考えてやしないか?
人に。。。。全然関係ない人たち、通りすがりの人たちや、
物を売ってくれる人たちや、いろんな人たちだけじゃなくて、
動物や樹木にも感謝できていただろうか?
できてなかったよな。申し訳なかったな。
みんなの役に立つには、どうしたらいいんだろうか?」
比較的人のことを考える方ですよ。
それでも、このようなことを学ぶよう壮絶なチャンスをもらうことって、
「感謝」を学んだ。
「感謝」って、だから、そうそう学べるものではない!
地球的スピリチュアリストのオススメの意味のない、
しつこい「ありがとうございます。」は、
ただ、神様としては、うざいだけ
神様「わかったわかった。ありがとうありがとう。もう、わかったってっば。
ありがとうより、地球浄化の仕事してくれないか?」
といってるかもしれませんね。
「ありがとうございます。」と伝えるのは大切ですが、
「ありがとうございます。」は、
万能薬でもないし、免罪符でもありません。