悪意に対してさえ感謝のプロセスの意味
「悪意に対してさえ感謝する。」
これね、今朝の拾った情報であったの。
えっとね、
悪意そのものや、発信者に感謝する必要はない。ですw
やだなーと感じる心は大切ですよね♪
それが自分の本当の感覚ですもの。
そのやだなーという感覚を封じ込めて(うそついて)→感謝するって、
私は違和感を感じたので、咀嚼して解答がでたので、書き起こします。
たとえ身に覚えのない、または、生き方の違いにおいて、
意図せず悪意を向けられたとしても、
「自分の人生は、その悪意によって変えられない!」
と決める心の強さ
とか、
悪意を持つ仲間が
どうしてそのような心を持つに至ったのか?
その弱さの発信元の過去の人生に
思いを馳せることができる心の余裕。
この心の余裕が許しにつながるのです。
そしてね、
そう感じられる「自分の純粋な心」に対して「感謝する。」
要するに、
悪意に対して感謝するという行いは、
「自分の純粋な心」に対して感謝する。
まだまだ、証明問題はここで終わらない。
驚くことなかれ、
この「純粋な心」というのは、必ず天空とつながっていることを指し示すものであり、
その「純粋な心」をもたらした「天空の存在に感謝する。」
みごとに、
マイナス体験(悪意を向けられる) → プラス体験(人智を越えるものへの感謝)
その放出するエネルギーこそ、私たちの天空の存在からお願いされた
私たち人間たちの仕事なのです。
証明問題の解答できたー♪ できた!わーいヾ(*´∀`*)ノ