三島由紀夫の人生設定③
天皇について、三島くんはこう考えていたようです。
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「天皇はあらゆる近代化、あらゆる工業化によるフラストレイションの最後の救世主として、そこにいなけりゃならない。それをいまから準備していなければならない。(中略)天皇というのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの、一番反極のところにあるべきだ。そういう意味で、天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。その根元にあるのは、とにかく「お祭」だ、ということです。天皇がなすべきことは、お祭、お祭、お祭、お祭、――それだけだ。これがぼくの天皇論の概略です。」
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天皇論に関しては、わたしとほぼ同一の価値観を示している記述です。
三島の最後の「お祭」の4連発は、
天皇は自分の利得ばかり考えずに、
国民にプラスの体験をさせてください!
ということだと思われます。
三島は、心ないエキセントリックな夏子の世の春の家庭で育ったわけですから、分離家系ですね。
だから、祈りというワードが見当たらない。
三島は、祈りが習慣になく、知らないんです。
だから、祭りじゃなくて
国民をおもって「祈る」という仕事が
天皇の本来の仕事なのです。
(祭りは、神殿であり、エンターテイメントである
芸能界や町内会に任せとけ)
現存の天皇は、そのための条件を満たしてない。
エネルギーが空洞のままの、肉体だけの「祈り」もどきだから、
国民が心のエネルギーが補充できず、右往左往してるじゃないか!
彼らは国民のための「祈り」ができているとは全く思えません。
天皇という存在は、
日本民族がすべて共有できる唯一の、
「魂の美」のお人形
(それを象徴と呼ぶんだと、思います。)
よく考えてください!
アニオタ
ヤンキー
先生と呼ばれる軍団
まっかげの人々
巫女たち(創価学会および準ずるもの)
そして私ホーラ・ユラヌス
この人たちが共有できる価値観ってあると思いますか?
ないと思います。
「心」というものは天空から携えて、
地球に生まれてきているんです。わたしたち。
(ただし、サイコパスはこの定義に当てはまりません。除外)
遠い日本の先祖が、神的、現世かりそめの存在として、
唯一の日本民族全体をまとめるための存在をつくった。
それが「天皇」や「皇后」だったのです。
「天皇」「皇后」に出会ったときは、
神に恥ずかしくないように、身をあらため、自分の内面や外面を整える。
それは一つの方面の見方であって、
宇宙は多面的な見方をする必要があります。
もう一つの方面からは、
「天皇」や「皇后」というのは、3月3日のお雛様といっしょで、
国民のための、聖書エイブラハムの息子のような役割を兼ねているのです。
本当は、「天皇」や「皇后」はアースエンジェルたちが備わっているはずなのです。
天皇は、自分の欲望の欲するところの自由の制限があるはずなんです。
ところが、
三島が現存する「天皇」に沸点をあげたのは、
その器に当てはまらない。
天皇が自分ばかりの欲を満たそうとするところに、
三島の茶瓶がぐつぐつと沸きだしたということ。
そのとおりです!
「天皇」や「皇后」は、本来、
血族の身内だけでまわるものではない!
と、わたしは解きます。
それは、自分さえよければ!の概念そのものなのですから。
本来、天皇は自分を手放さず、
日本国民全体への祈りの作業は、できるのでしょうか?
「天皇」や「皇后」は、日本人の代表として、
他国と交流するのも大切な仕事の一つですが、
本来は、命をけずるほどのご経験をされてこその、
その仕事だと思います。
そういうご経験をされたように、誰一人お見受けしません。
そして、もっとも必要な仕事の一つが「天皇」や「皇后」なのに
そういえば、
観るつもりもないテレビやネットのニュースから、
天皇家のあるお姫様の一人が、公民館でヒップホップダンス。(←そのくらいの場所が似合ってる。育ちより血の濃さよ。)
皇居からある吸血の生き物が発見されたそうで。(←皇室が人間界でやってること)
神秩序から偶然とはいえないシンクロニシティーが発生しています。
人類は存続するけれど、象徴は新しく変化する。