松本昌広→ナインティナイン岡村隆史(遺伝子添加物)

和歌山県立母子寮に入所していた男子
松本昌広

ナインティナインの岡村隆史の人間モールドではなく、
岡村隆史も顔がコロコロ変わるクローン人形なので、
特定できないが、
松本昌広は、王家のスタメンの1人で、
岡村隆史の遺伝子添加物として芸能界という、
太陽の塔に収められた。

松本昌広についての思い出ね、

その前に、わたしは、
15年満期の入所の刑?w
あるいは、
UFOの殺戮地帯で、次々と同級生一家が引っ越しを装って、
次々と殺害されていく中、母子寮の塀の中だからこそ、
存在を守られていたのではないだろうか?

わたしがいた15年の中で出会った、少年の1人だった。
中1のときに、にわかに登場した。

松本昌広の引っ越してきた小学校の名は、
「三田小学校」(サンタ小学校)
和歌山がいかに、キリスト教徒だらけかってのが、
当時の小学校の名前に見る。あからさまやんか!w

彼は、柔道部で足がとても速かった。
本当は、ほかにも、福元幸仁(わたしのボーイフレンドね)も
早かったが、やはり、華やかさという天性の魅力を松本昌広は、
持っていた。
女性は猿顔が好きなんだなって、学んだ1人の少年だった。
2つ年上の女性に告白されたけれど、よくわからないし、
柔道と勉強があるから、断ったと言っていた。
ヒーロー的存在であった。
生い立ちより、顔立ちより、やはり、華やかさ、
これを纏っている人が当時のスクールカースト上位
ヒーロー・ヒロイン
だったんだろうな。

今思うと、当時のスクールカースト上位のファッションリーダーたちより、
地味な子たちの方がずっと、顔立ちがきれいだったり、
かっこよかったりする不思議。
大人と子どものセンスの違い。子どもたちも洗脳されやすいということだ。

松本昌広は、和歌山市から優良少年とかで表彰されたことがあると、
本人から聞いた。
文部両道・字も絵もうまい・コミュニケーション能力も王家にしては良い
男女ともに好かれる、夢見た柔道家への道

占星術でいうところの、華々しい獅子座支配といった少年だろうか。

中学3年ころから、彼に不幸が訪れ始める。
母子寮では、トイレは思春期といえども、男女共同なのだが、
彼は腰をよくおさえるポーズをとりながら歩く姿を見かけた。
「さるすべり?」か何か、スポーツマンだからこそ、なる病気だと、
彼は言っていた。

彼の母のエピソード。
彼の母は、バセドウで目が飛び出た感じだった。
それだけでなく、奇妙だった。
母子寮内は、元旦那の暴力で壊滅的な顔の女性も入所していたが、
彼の母もそうだったのだろうか、脳に異常が起きてだろうか、
こういうことがあった。
回覧板を回しに母と、昌広くんに用事があって3号室に行ったとき、
彼の母は、ちょっとごめんねとか、なんとか断りをいれてから、
シュークリームを冷蔵庫から取り出し、
食べようとするも手のひらからこぼれ、
シュークリームが床に落ちた。
こともあろうか、彼の母は、シュークリームを取り上げるだけでなく、
床についたクリームの残骸を直接、ペロペロと舐めはじめた。
(床をねずる!っていうのね、和歌山弁では)
わたしと母は、常軌を逸した場面に遭遇して、
無言で立ち尽くしてしまった。

王家は、碌な家庭に生まれないw

彼は、彼の母を嫌い、和歌山は基本、中学生から義務教育でも、
弁当なので、映画やドラマ「おいしい給食」の世界は、ない。
厳しい和歌山の世界では、給食なし!の子どもたちが少数ながらいたのだ。
松本昌広ではないが、
毎日、学校でお湯をもらって、焼きそばUFOやカップラーメンを
ずっと続けてた少年がいた。「西川」くん
でも、「西川」くんも母子寮ではないが、母子家庭だった。
1年10組にいたと思うけど、卒業アルバムに載ってなかった。
野球部の細見で無口で真っ黒な姿だったな。
今気づいたが、こんな感じで知らない間にみんな消えていってしまう町が、
和歌山の恐ろしいところだ。完全犯罪の町だね、埼玉よりもずっとテクニシャンで。

ほかにもお弁当の蓋を女子生徒に借りて、
「お!そのウィンナーうまそうやな、おれにくれよ」と、
クラスの子にご飯を恵んでもらおうと毎日、必死な男子がいた。
その男子も、たしか、母子家庭だった。

母子家庭の災難。父子家庭は、わたしは当時聞いたことがなかった。
1人女生徒で母親が小2で亡くなったが、祖母が世話をしているとかで、
それくらい。

福岡や埼玉に引っ越して(自らの意志ではない!)
初めて、中学生になっても給食が出る学校があるのだと知った。
これは、公平性にかけて義務教育とも呼べないものだろう。
学校は自分たち大人の都合のよいことに子どもたちから、
生命力をもらっている、ゾンビ集団だったんだ。

松本昌広は、暴行か何かの結果、あるいは、
クローン人形で阿呆にされてしまった母親に弁当をつくってもらうのは、
ひどく嫌っていて、
学校でパンを買うからお金そのものを頼んでいたと、
松本の母親から聞いていた。

そして、
スポーツマンで柔道家を夢見た、松本昌広は、
お笑い芸人の一部にされてしまった。

ベルリンの壁崩壊へ向けて、
和歌山でも、どんどん、子どもたちの環境が悪化していった。
わたしは、ベルリンの壁は崩壊すべきでなかったという立場で、
あの壁が、ゾンビと王家を分ける盾だったのだろうと、
当時のドイツに思いを馳せる。

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